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戸高雅史講演を聞いて 大学生からの質問

2023年11月津田塾大学公開講座で行われた戸高雅史の講演後、
学生からの質問と戸高の回答の書簡です。

戸高のヒマラヤ講演は彼が福岡教育大学時代に探険部に出会い、心から自然へに惹かれていき、様々な冒険を経て、大学院で初めて海外登山へ挑み、高校教員で熱く生徒と向き合いながら、ヒマラヤ登山へと向かうストーリーから始まります。コロナ禍に大学という最高教育機関で研究やレポートに追われるように過ごしている学生たちに、自然やヒマラヤの美しい写真と戸高の柔らかな声の響きと語りに、学生の素直な感性がひらかれて、自分の存在を問うような真摯な質問が寄せられました。

津田塾大学の講座を担当している学生さんから、
了解を頂き、戸高と学生さんとの対話、人びとに掲載します。

1.命を危険に晒してでも登ることの意味は見つかったのでしょうか。
意味を見つけるというよりは、 どうしても惹かれる、やらずにはいられないという気持ちから登り続けられたのでしょうか。  ⇒ 

雪崩に遭った原因は、雪質を見極められなかった自分の未熟さでした。天候や雪質、ルートのライン どりなど、ただヒマラヤ登山が危険なのではなく、自然の摂理のなかでどう、行動するかが問われま す。それは、究極的にはこの地球で生きている中で、大災害時などでは街中にいても事前の対応や瞬 時の判断が迫られることがあり、同じかと思います。 

自然の摂理のなかに、生きてある。そこに実感とともに立つようになったことから、ヒマラヤの山々 は私にとって、いのちを危険に晒すのではなく、
いのちを生きるために向かう場となりました。

2.戸高さんが登山を始めたきっかけはありますか。 ⇒ 

私の山とのつながりのルーツを辿っていったとき、小さな頃、家の前の橋の上から夕暮れに時折、山 を眺めていた記憶に行き着きます。
その山は、三つのピークからなるおおらかな山容で大分と宮崎の 県境に聳える八本木山(1,408m)という山です。 

小さいながらも、なにか調和に満ちたその八本の木の山とお話をするような感覚になっていたのか もしれません。 

主体的に山に登るようになったのは大学に入ってからになります。 

偶然のきっかけで探検部に入部。探検部は、「未知なるものへ」をテーマに何よりも直接体験を目指 し、洞窟探検や川でのカヌーや登山をするクラブでした。
先輩のなかには、ひとがひとりになったら どんなことを感じるんだろうと夏休みの二か月を大学近くの池にいかだを浮かべて過ごそうとした 方もいました。
彼は一週間ほど経過したとき、急に寂しくなってやめたそうですが、達成することで はなく、体験し、確かめることを大切にするクラブでした。 

様々な活動の中で私は、洞窟探検に夢中になりました。石灰岩のカルスト地形の台地には水で穿かれ た洞窟が無数にあり、その中へ入り、奥へ奥へと進んでゆきます。
時にはロープで何十メートルも下
降し、時には水を潜って反対側に出てゆく。泥まみれになり、水びたしになり、未知の世界へと向か ってゆきます。 

私は探検部の活動に夢中になりました。一年の終わり、成績表を手にし、自分をみつめました。単位 はほとんど取れていないけれど、妙に生き生きしている自分を感じます。
泥だらけになり、水まみれ になりながら奥へ奥へと潜ってゆく体験は、いわば子どもの遊びとも言えるものかもしれません。
1 8歳から19歳にかけて、私はもう一度、3歳から5歳の頃に戻るような体験をし、小・中・高と育 
ってくるなかで自身の意識のなかにできていた枠が外れたような気がしました。本気で、いまから、 なんでもできる。なんにでもなれると感じていました。
いま、この大学にいることも含めて、これか らどこに向おう!と溢れる熱とともに未来をみつめていました。
心の奥にある「真なるもの」を求め る思いとともに。 

しばらく図書館に籠り、宗教書や哲学書、偉人伝など様々な本を読み、ヒントを探しました。
なかなか見えてこない中、私を探検部に引き入れた隣の部屋の先輩が悶々としている私に一冊の本を差し出しました。
「戸髙、お前、この本を読んでみたら。」
その本は、昭和の初期に厳冬の日本アルプスの山々を単独で登っていた加藤文太郎氏について作家の新田次郎氏が書いた「孤高の人」という本でした。 

当時は現代のような雨具もなく、油紙を服の間に挟み、調理用のコンロもアルコールランプのため、 雪を溶かしてぬるま湯にするくらいのため、
文太郎は左右のポケットに甘納豆と干し魚を入れ、交互につまみながら山を歩き続けました。
今でいえば、ヒマラヤの高峰を自由自在に登るくらいの登山を昭和の初期にたったひとりで実践していた彼の生きざまはとても魅力的でした。
同時に、小説の中のこんなシーンが心に飛び込んできました。北アルプスの吹雪の山中で一夜を生き抜くために、文太郎は岳樺(ダケカンバ)の木と自分をロープで結びます。
山の中で力強く生きる岳樺の木の存在を感じ、その生命力とともに生き抜こうとしたのでしょう。 

「ここに行きたい!こんな世界にゆけば、なにかが見えるのではないか。」
春3月はまだ雪深いアルプスには行けませんでしたが、二年生の夏に念願の北アルプスの山々に登り、はるかな山の世界への扉が開いて気がします。
雪山へ、岩登りへ、そして23歳での初めてのヒマラヤへとつながってゆきました。 

4.今回は貴重な講義をありがとうございました。好きなことはいくらでもできると言いますが、
それでもやはり好きなものだからこそ悩んだり苦しんだりすることがあると思います。登山だとなおさらだと思いました。
そのときの精神面での立ち直り方について教えていただきたいです。  ⇒ 

一緒にアタックした仲間がアタック中に亡くなったり、下山中に肋骨にヒビが入り、帰りのキャラバ ンは息をする度に激痛を感じながら麓の町へと帰って行ったり・・・。
その時には、やはり苦しんだり、落ち込んだりしますが、悲しみや苦しみを打ち消そう、忘れようとするのではなく、しっかりとその気持ちを受けとめ、
その気持ちとともにあると、自ずとそこから 「いま、この瞬間」へと立ち戻ってきます。生きるのは、「いま、この瞬間」であり、この一瞬一瞬 から未来が生まれてゆきます。 

5.山を目指したいとなったとき、何から始めれば良いのでしょうか。最初のエピソードは 23 歳とお若く、驚きました。
それまでも国内外の山々に沢山登っていたのでしょうか。
少ない食糧で極限のなか 登っている状況と家で布団の中で寝ているとき(つまりごく安全な状況)のギャップで何か感じたことはありますか?  
⇒ 

「山」という世界と私たちには、それこそ十人十色のふれあい方、楽しみ方が生まれます。みつめる、 写真を撮る、絵を書く、登る等々。そのなかで「登る」という行為を通して「山」の世界にふれると き、そこにもやはり十人十色のふれあい方が生まれます。 

もちろん、リスクマネジメントの点から習得すべきこと、準備すべきことはありますが、山の選び 方、コース、登り方(日帰りか山小屋泊かテント泊か野営かなど)などもそれぞれの感性も含めて自由に組み立て、さらに天候や体調なども考慮しながら事前だけでなく現場でも対応してゆきます。そ うした一瞬一瞬の対応自体が「山」の世界へふれてゆく醍醐味ともいえるものです。 

こうした体験へのファーストステップとしては、まず、日帰りで登れる山からが良いと思います。こ れからの季節でも低山(それこそ葉山近辺の標高 200m や 300m の山でも十分に楽しめます。)であればまだまだ紅葉の世界を味わえますし、人気のある高尾山もたくさんのコースがありますのでおすすめです。検索すればルート案内が見れますので、その中から自分にピンとくるコースを選び、登 ってみて、さらに次回は他のコースから登り、その違いを楽しみながら自分の感覚をみつめてゆくと 「山」とのオリジナルな世界が生まれてゆくと思います。
そうした体験から、次第にステップアップし、泊りの山行へ、そして 3,000m の日本アルプスの山へ、 あるいは野宿も交えて深く自然のなかへと入って行ったり、山の世界とのふれあいは無限に広がってゆくことでしょう。 

  

 登山の経験 

私は、19歳で主体的に山に登り出す以前はほとんど登山の経験はありませんでした。 

 極限と日常でのギャップについて感じること 

極限のなかでも、ふとんの中にいても、本質的に変わらないように思います。刻々と「いま、ここ」 にあり、必要な時には瞬時に意識の領域とつながる。状況によって意識の領域とつながっている割合 の違いはありますが、必要が終われば刻々と変化する「いま、ここ」に還ります。コントロールがはいらなければ、自在に行き来します。日常と非日常を分けることはなく、ただその本質に立ち、操作 せず、あるがままに「いま」にある。ふとんのなかでカーテンの隙間から差し込む光にこころが震え、 大の字に身体をマットにゆだねる安心も幸せです。

6.野外学校 FOS ではどのような活動をされているのですか。 ⇒ 

自然と人、そしてありのままの私に出会うをテーマに自然を舞台にした体験の場を開いています。ク ライミングや沢登り、登山、野宿。海ではシーカヤックやサーフィンコースもあります。どんな活動も主体としてチャレンジし、素直な心で感じられるように安心できる環境を整えることを大切にしています。
Coleman 社との協働で子どもの自然体験・啓蒙活動も行なっています。3 年前から戸高の郷里大分県佐伯市宇目町のキャンプ場の指定管理を始めました。
初めてキャンプを体験する方に自然の価値や人と出会うことで気づく人間的な喜びを実体験する活動も提供しています。 

野外学校 FOS
Coleman との CSR Dance with nature 

7.どのようなトレーニングを経て登山に向かうのでしょうか。
命の危険が伴う登山に挑戦されている  戸高さんは登山に出会う前から自分の限界を超えて挑戦することをされてきたのでしょうか。 ⇒ 

「山」を意識して登りだした大学一年の冬から、山へ向かうためのトレーニングはよろこびとなりました。
「山」と出会い、そこで生まれる一瞬一瞬のドラマを味わうために準備すること、その過程自体がも う「山」とのふれあいの大切な一部だと感じます。 

大学時代は、探検部の練習を終えた後、ブロック三枚(36kg)を担いで裏手にある山に登っていました。
重たい荷物を担いで登るトレーニング(歩荷)は、脚力だけでなく全身の筋力や張力、自然な深い呼吸、 さらには体内での酸素や水分、エネルギーなどの循環など一番の基本になる力をつけてゆくことができます。歩荷にこだわらなくとも、山に登ることが一番のトレーニングだと思いますが、それ以外にもマラ ソンなどの基本トレーニングとして行われる LSD(ロングスローディスタンス:1~3時間程、ゆっく り、長く走る)も芯から身体の隅々まで酸素を運び、高所に順応しやすくなるために取り組みましたが大変効果的だったと思います。 

もちろん、岩を登ったり、氷を登ったり、急な雪壁を前向きで下ったり(下降スピードが後ろ向きと前向 きでは大きく異なります。)の技術的なトレーニングも重要ですが、基礎となるトレーニングの上に積み上げてゆくものだと思います。 

私にとってはこうしたトレーニングはルーティーンとして淡々とこなすというよりは、ひとつひとつが ワクワク・ドキドキする体験であり、よろこびとなっていました。そして、こうした日々がヒマラヤの高 峰での体験へとつながってゆきました。 

ヒマラヤに毎年登るようになってからは、雪の富士山に登ることが一番のトレーニングとなりました。 環境も状況もヒマラヤの高峰に近く、特に八合目の 3,200m を超えたあたりから感じる生理的な高所感覚も順応へのスイッチが入りやすい身体を育んでくれたように思います。これまで、雪の富士山には40 0回以上登っていますが、私にとっては現在、その麓の山中湖畔に居をかまえてもおり、特別な山であり、存在となっています。 

限界を超えて  

ヒマラヤの高峰に登りだして間もない頃、ある方に私たちの身体の細胞は三か月ほどですべて入れ替わ ると教えていただきました。ということは、私たちは肉体的には生まれ変われる可能性があるというこ と。このことは私にとっては大きなことで、身体的には「限界」ということはなく、一瞬一瞬、存在とし ては更新していっているのだということ。「意識」でブレーキをかけなければ、可能性は無限だと感じ、 常に一歩、前へ・先へと進んできたように思います。ただ、大切なことは、どんな状況においても、「感 (観)じる」ことは手放してはいけません。制限のない世界において、「違和感」が立ち止まり、引き返 すポイントに気づく大切なセンサーとなります。その自身の感覚を信頼できるか否か。その信頼があれ ば、無垢の世界に感じるまま、こころのままに入ってゆけます。 

8.山に登る前はどのようなコンディション調整されているのですか。 ⇒ 

16 年間、ヒマラヤの高峰に登り続けていた頃は三か月、ヒマラヤで過ごし、帰国してから振り返りと報 告、そして次に向かう山と出会い、計画立案・申請手続きなどを経て本格的な準備が始まります。トレー ニングもそれに合わせて、順応力や持久力を培うものや技術を高めるもの、経験も含めて実際の山でし か体験できない山行などを行い、出発の日を迎えます。 

出発の二か月前くらいからは富士山に登る回数を増やして順応の初期段階(4,000m 位まで)を国内で進め てゆきます。また、山頂へ向かうアタックはベースキャンプに着いてから早くても一か月後位ですので、 日本出発時は少し太るくらいでアタック時に最適な状態になるよう、トレーナーにもアドバイスをいた だきながら食事も含めて調整、準備をしていました。 

一時期、ヨガの呼吸法にも取り組んだのですが、山に登ること自体が自然に身体の動きと調和した深い 呼吸となってゆくため、国内でも登りたい山の登りたいコースでの体験を大切にしました。 例として、冬季に凍った滝の連続する谷を雪質や天候の変化に細心の注意を払い、アイスクライミング (両手にアックス、足にはアイゼンという金属の爪をつけ、打ち込み、蹴りこんで氷瀑を登る)をしなが ら山頂に向かいます。大きな滝では100mを超えるものもあり、さらに幾つもの滝を登り、山頂に抜けてゆくような登山は、ヒマラヤ登山とも通じる体験となります。 

9.突き詰めていったら人は 1 人なのでは、ということに気づいたとき、どう感じましたか?寂しい、悲 しいというような感情はあるのでしょうか。  ⇒ 

ヒマラヤの高所の極限のなかで、自分の感覚にしっかりと立っていること(自分の感覚を信頼すること) がなによりの安心となりました。
逆にみれば、そこに家族や友人がいても、ネットでつながっていても、 酸素ボンベやサポート隊がいたとしても、自分の感覚に立てていなければ不安のなかにあり、寂しさや
悲しさともつながってゆくように思います。 

10.枠がないという意味では、大自然の中にいる方が生きやすいのではないかと思いますが、枠に溢れ ている社会が、温かい社会だと感じられるのはどうしてでしょうか。  ⇒ 

社会=他者(ひと)とふれあうことであり、それはよろこびへとつながることだと観じます。枠のない世 界ではスパークするように共振してゆきますが、枠に溢れている社会でも、言葉の奥に、あるいは行為の芯にある思いが響きあい、いつの間にか共振の「場」が生まれてゆきます。その段階では、意識の枠は薄 いものなってゆき、最後の数枚は外れなくても(お互いに外さない場合も)、お互いの立場を受けとめ合 いながらの温かい世界が生まれてゆきます。そこに立てば、枠のあるなしはもう関係なく、もしかしたら 服を着るように誰もが多少の枠を身に着けるようにその中にいるのかもしれません。先日もある用件で 保健所や消防署、建築課の方、観光課の方とお話しましたが、否定ではなく、法律や決まり事、制約 のなかで、それを受けとめた上で良いものを創ろう、未来へ向かおうとするみなさんとの共感を感じました。 

11.戸髙さんは山の上で 1 人、ゆうみさんはベースキャンプで 1 人、とおっしゃっていましたが、そ れは 1 人ではないようにも感じられました。
反対に、たくさんの人がいる社会や家庭の中でも 1 人だと 感じられることもあると思います。戸髙さんにとって、「1 人である」というのはどういう状態でしょう か。  
⇒  

いま、この瞬間に、だれでもない、私の感覚に立つこと。 

山の上にいる私は、一瞬一瞬、その感覚に立ち、行動しています。ベースキャンプで過ごす優美も私に何かがあれば、ひとりでベースキャンプを撤収し、ひとりで帰ってゆかねばならない状況にいるなかで、彼女の「いま」に彼女の感覚で向き合っていたように感じます。 

ひとり、立つには、私の感覚を信頼できるか否か。Alone(ただ、ひとり、あること)が Allone(全体性) への扉をひらくように感じます。 

12.登山をしている最中は辺り一面雪景色だと思うのですが、「今自分がどの地点にいるのか」という のはどのようにして把握していらっしゃるのでしょうか。 ⇒ 

私が登っている時代は、GPS はまだありませんでした。ただ、気圧から算出する高度計はあり、尾根上 にいる場合には高度がわかると現在地の把握は容易になります。
ただし、広い雪原や雪壁などで視界がない場合にはコンパスによる方角や地形的な情報など前後の状況も含めて今、いるところで得られる情報をすべて集めて把握する必要が出てきます。アラスカのデナリ峰では、広い雪原でホワイトアウトに
遭遇し、足元も空間も真っ白の世界で風が吹くまでじっと30分以上も動かず、風で視界が開いた瞬間に進む方向を見極め、行動する自分に出会い、自分自身に感動したことがありました。誰かから教えられたわけではなく、その極限のなかでじっと動かずにいる自分。「ああ、僕は大丈夫だ!」と感じました。 25歳の時でした。 

13.今後目指す先(例えば挑戦したい山や、個人としての理想像)があればお聞きしたいです。また、 登山以外にも挑戦したいと考えていることはありますか。) ⇒ 

私はいま、郷里・大分県佐伯市でキャンプ場の運営も始めています。行政の方々や地域の方々、そして職員のみなさんと関わり、自然とひとの調和した社会の実現というビジョンに向って取り組んでいます。 枠のたくさんあるなかで、お互いの本質が響きあう瞬間があり、決して楽なことではありませんが、まさ しく山あり谷ありの醍醐味のなかにいます。 

大分と神奈川(葉山)と山中湖を月の内、3~4度行き来する生活ですが、そのなかで、場やタイミングの大切さを感じています。
特にユース世代(みなさんの世代でもあります)の若者たちと自然や山という 場を共にすることをチャンスを掴む、チャンスを逃さないという思いで実行しています。
私にとっての 一年と、若いみなさんにとっての一年は大きく異なり、いま、体験するか来年になるかの違いは大きなことだと感じます。 

この質問をいただいて、うれしく、自分のなかから湧いてくる感覚をみつめています。
いま、溢れてくるものは、ひととひと、ひとと他者(自然、物、事)の共振は 1+1=2ではなく、その 共振の振幅は無限です。
そんな体験を、一瞬一瞬、自身で体感するとともに他の方と分かち合えたらと願います。
そこには、再びのヒマラヤも、即興の音のセッションも、そして優美とふたりで過ごすひとときも浮かんできます。 

14.私は本当は今すぐにでも海外に出たいという思いをずっと持ってはいるものの、なかなか行動に 移せずにいます。
戸高さんが本当に行動に移すべきか悩んだ時、最終的に行動に移す決定打となったも のは何ですか?よかったら教えていただきたいです。  
⇒ 

それは、自分の本心です。 

あきらめようとしたり、こうした方が良いと言い聞かせようとしてもけして消すことのできない「何か」。
いまでは直観的にそこに立つことが多くなっていますが、当時は迷いや悩みのなかから自身の本心と出会う体験をしました。
苦しいけれど、かけがえのない時期でもありました。今の世界の情勢のなかでは大変かと思いますが、大切な体験をされていると思います。
自分の本心を、どうぞ、みつめてください。 

15.できたお茶を渡そうとして、でも一人だったというお話で、そのお茶を渡そうとした存在は優美さんでしょうか、それとも他の「自然」でしょうか。
眼鏡をかけられていますが、登山での視力矯正はどう されていましたか。 
⇒ 

渡そうとしたのは、もうひとりの自分という感覚です。ハイヤーセルフや、魂、高次の自分と表現されたりもします。
スピリチュアル(霊的)な体験でもあり、科学的には説明し得ない体験であり、当時の様々 な状況から高次の自分とつながりやすくなっていたように感じます。
世の中には、その方の人生の中で、 霊的な体験と出会う時が訪れることもあるようです。 

私が親和性を感じるのは、比叡山の行者さんたちの取り組む10年に渡る千日回峰行での体験です。
過 去の幾多の行者さんたちの体験から体系化された行になっていますが、7 年目までは毎夜、午前一時位か ら比叡の山をお祈りをしながらひとりで30kmほど歩き、戻ってからは通常のお寺のお勤めをします。 そして8年目に入る前、お堂に10日間籠り、飲まず、食わず、眠らずでお経を唱え続けます。
肉体的に は、「飲まず」が堪えるようで、ある意味、決死の行とも言えます。 

もし、生きてお堂から出ることができたら、それを機に行は、自利行(自分を創ってゆく)から、利他行 へと変わり、山から京都の町中へ降り、市中を巡る行へと転換します。 

自利から利他。ヒマラヤに登っている頃は、それを「行」としてとらえていませんでした。 真なるものを求める思い。宇宙を観じるヒマラヤの世界に魅了され、登り続けてきたのですが、チョモランマ峰での「生きる世界はふもとにある」と観じた体験は、私にとっての自利から利他への転換点だった ように思います。38歳のときの体験でした。 

眼鏡に関しては、「山」では曇りやすく、連続装用できるコンタクトレンズを使用していました。 

16.戸髙さんにとって生きる意味とはどんなものだと捉えていますか。 ⇒ 

これは直球のご質問をいただきました。 

最近は、「生きる意味」について考えることはなかったのですが、いただいた「問い」に向き合ってみた いと思います。浮かんでくるのは、
五感だけでなく、直観という感覚。直観はどちらかというと、自分の感覚というよりは、私に訪れる感覚であり、それは誰のものでもない、
この宇宙とつながる感覚とも言えるでしょうか。私は特定の宗教・宗派に所属してはいませんが、人知を超えた世界とのつながりを感じます。 

一瞬にひらく世界は、常に新しいものです。無限の可能性に満ちた「いま」にあるとき、五感も含めたセンサーを通して訪れる直観とともに、
新たな一瞬へと向かう。それは、ワンダーであり、奇蹟。 生きるとは、奇蹟ともいえるでしょうか。 

意識で未来をコントロールすることなく、日々、一瞬一瞬、奇蹟とともにありたいと思います。

17.ご講演を通して、戸髙さんの言葉選びがとても素敵で印象に残っています。私は自分の感じたことなどを上手く言語化することが出来ないのですが、
戸髙さんがあらゆる感情や情景を表す「言葉」をたく さん持ち合わせていらっしゃるのには理由があるのか気になりました。  
⇒ 

ヒマラヤでの三か月、そして国内でも自然や山の中で過ごすことが多く、一年の半分以上の期間を言葉 のない世界で、かつ一瞬一瞬の体験に言葉を当てはめない(名付けない)で刻々と訪れる瞬間を生きる体 験をしてきました。
名付けないとは、分析も思考も、観察もしないということであり、その一瞬にただ体験者の私のみであり、観察者の私は存在しません。 

言わば、「ぼーっ」と自然を眺めている、「無」になって一瞬一瞬、反応するように行動しているような感じでしょうか。
言葉を当てはめないとき、自然の「はたらき」と同調してゆき、無限の世界へとつながっ てゆきます。 

そうした体験を経て言葉に出会うとき、言葉やその音、リズムなどから伝わる力に驚きます。
言葉はとてもパワーのあるものですし、実際の体験そのものを表すよりも、ツールとしての言葉が持つ 背景(歴史や慣習、習慣や宗教や観念など)も合わさってくるように感じ、怖くなったことがありました。 人類のこれまでの経験値や思いの影響を受けずに今、この瞬間にありたいとしばらく意識的に言葉を使 う世界から離れたこともあります。 

いま、言葉は力があり、怖いものでもありますが、素晴らしいものだとも観じています。
言葉から響いてくるものを感じ、そして発するときにも書く時にもそのエネルギーを感じながら表現さ せていただいています。 

18.ユウミさんへの質問です。ベースキャンプで一緒に順応の作業をされているということでしたが、 戸高さんが山頂に登っている時はどういった想いで待ってらっしゃるのですか?またユウミさんご自身 は山頂に登ってみたいという想いはお持ちなのでしょうか? ⇒ 

クライマー(戸高)にとって、アタックは、天候が安定し、心身の状態が最高潮に達して、初めて山の扉を 開くことができると私自身もベースライフから体感していきました。
彼がアタックしている時は、日本 での厳しいトレーニングや無酸素登頂のために何回も山を登り下りする修行のような歩みがあり、
彼の 全存在をかけ求めてきた願いが叶う日でもあります。私ができることは、彼の想いを山が受容し、祝福し てくれることを祈ることでした。
私は自然や山登りは好きですが、ヒマラヤ登山は特別な領域です。私は 標高 5000m の氷河の美しい世界に充分に満たされていました。
生きていることはそれだけで美しい! 高 峰に登るクライマーは小さな点のようですが、人間が存在として放つ確かな光は、夜空の星のように輝 き、生命そのものでした。 

19.戸髙さんは今現在も、この水と緑の、人間が生きていくべき世界の中で、「意識」の介入しない“今” を感じられていますか。感じ続けることができていますか。それは、「自然」という意識が介入する隙間もないような環境でしか感じられないものですか。  ⇒ 

極限のなかにいなくとも、意識の静まった世界は一瞬一瞬、生まれてゆきます。
その入口は、前の質問に も書かせていただきましたが、五感を通してふれる一瞬に名付けることなく、次の一瞬へ、そして次の一 瞬へと刻々とただ、
「いまという瞬間」にあること。 

そのとき、そこに私と世界(他)との共振の場が生まれてゆきます。 

この共振場の無限の世界にいま、私は魅了されています。 

例えば保育園児と一緒に自然のなかに入ると、そんな共振場が生まれてゆくことが 多いように感じます。
子どもたちは名付けることなく、ただ、一瞬にあることを体現しています。 このような有り様を手放すことなく、必要な時には自然に意識の世界とつながり、
また、共振場の無限の 世界に刻々とある。 

いま、ここに生まれるワンダー、そしてワンダーとは奇跡でもあります。 

20.戸髙さんは、K2 峰の頂に立った時、本当の意味で「ひとり、ある」ことを感じられたとおっしゃ っていました。それは、戸髙さんが 36 歳頃から「ひとり」をテーマに生きるようになり、また K2 への 順応の段階から、何度も「ひとり」で上り下りされた経験があったからこそ得られた、「ひとり、ある」 という感覚、「一瞬一瞬と、自然や山、もっと大きな何かと繋がっている」という体感なのだろうと思い ます。戸髙さんほどの経験をしていない私たちでも、意識の介入しない「ひとり、ある」“今”この一瞬を どうにか感じようと努め、そして精一杯、全身全霊で生きようとすれば、本当の意味での「ひとり」に出 会うことができますか。完全に出会うには難しいことなのでしょうか。  ⇒ 

どこにいても、なにをしていても、「いま、この瞬間」にふれるのは「わたし」です。 世界はその瞬間に生まれ、消え、生まれます。その醍醐味を感じるために、「言葉」の世界から離れるひ とときを日常のなかで持つことが大切に思います。 

「言葉」の世界を離れるとは、一瞬一瞬に生まれる体験に名付けず、刻々といまにあること。 それは、電車のなかにいても、街を歩いていても、どんな場でも可能ですが、文字や言葉のない自然の中 であれば、そこに働く一瞬一瞬の「はたらき」と同調し、より瞬間性に満ちた共振の世界につながりやす くなるかと思います。 

日常を否定することはなく、いわば、日常のなかにひらく無限の世界というイメージでしょうか。 「行」ではなく、訪れる一瞬の「ギフト」とともにあるような感覚です。 

声を出したくなれば歌い、踊りたくなれば身体が動き出し、光にふれれば涙があふれ、吹き来る風を全身で受ける・・・。 

21.優美さんへのご質問です。K2 峰への登頂の時、戸髙さんが頂に向かわれている姿を望遠鏡で眺め ていたと、配布資料で知りました。戸髙さんが「ひとり」で頂に向かっている間、優美さんもある意味「ひとり」であったと思いますが、その感覚は戸髙さんの言う「ひとり、ある」感覚に近いのですか。それと も、「孤立」に近いような感覚なのでしょうか。 ⇒ 

戸高がヒマラヤ登山において(ひとり在ること)を感じるためにソロというスタイルに移行していったの は必然だと感じていました。彼のクライマーとしての登攀力と自然への感性が研ぎ澄まされて、直観的 な共振を山に求め、山も不思議だけれど、ニュータイプのヒマラヤンクライマーの挑戦に響いていたよ うに感じます。彼が順応のためにひとりで山に入る時、私もひとりになりました。ヒマラヤの美しさに包 まれている心地は至福。朝は太陽が昇り、真っ白な峰々に光を注ぎ、氷河を溶かし、水を与えてくれる。 

当たり前の営みにしぜんに感謝が湧いてきました。彼がひとりで山に在ることを味わい楽しんでいるよ うに、私も自然にひとり在ることに喜びを感じていきました。私はひとりでいても、いつも自然が共にい て、心のなかには私を愛してくれる家族や友達がいてくれて、そうした存在は私の不安や孤独になる感 情を支えてくれました。 

22.年齢など、配慮すべきこともあるかもしれませんが、そういったことを抜きにして、また自然や山 の中で「ひとり、ある」感覚や「生きる本質」のようなものを感じに、登頂したいと思われますか。それ とも、K2 までの登頂を通して、山や自然に教わるべきことはもう十分教わったので、これからは「人間 が生きていくべき麓の世界」で生きていくのだとお考えですか。 ⇒ 

生きるということは、ゴールはなく、いま、自分のいる場で一瞬一瞬、新たな世界が生まれてゆきます。 それは本質的にはヒマラヤの山を自らの感覚を唯一の拠り所として登ってきた感覚と通じます。 これからも、限定することなく、ただ、いま、この瞬間に向き合ってゆきたいと思います。 

23.災害をはじめ、自然は時に人間の脅威となることもあります。また、戸髙さん自身も、山に登る過 程で、自然がもたらす多くの試練にぶつかって来られたと思います。それでもなお、自然を愛し、自然と 人とを共振させようと活動されるのはなぜですか。 ⇒ 

自然を自(おのず)から、然(しから)しむと読むと、そこには対象物としての木々や花、岩や川ではな く、それらをそうならしめた「はたらき」を観じることができます。その「はたらき」は、日常と非日常 に関係なく、すべてに働き続けているものです。脅威となることもあり、特に山では少しの変化が生死に つながることもあります。その「はたらき」は私たちのなかにも働いています。意志とは関係なく、心臓 は脈を打ち、血液を体内の隅々まで送っています。 

どこにいても、内と外に働く「はたらき」とともにある。そこに生まれる共振のよろこびは無限です。 生ある限り、最後の一瞬まで、その「はたらき」とともにあり、いま、ここに生まれるワンダー(奇跡) に魅了されてゆくように思います。

感想  

1.冒頭の「今を生きる」という話で、本当に皆がそう生きたらどんなに良い世界になるだろう、と思った。「コロナが終わったら…」という言葉をよく聞くが、日本人は誰にも規制されていないし、日本はまだだが入国制限がなくなった国も増えてきている。「今」思いついたことをして、「今」の気持ちを感じて、「今」行動に移したいと思った。写真が本当に素敵でした。 

2.私は幼いころから自然の中で育ち、中学・高校時代は少しではありますが登山をしていた経験があり ます。戸高さんのお話を聞いて、戸高さんが山に登ることをとても大切にしていて、誇りに思ってい るように感じました。そしてそれと同時に、私もなんだか、山に行き、自然を感じたいと思いました。 本日はありがとうございました。 

3.麓の世界が、すべての命が繋がっている、豊かな繋がりの世界という言葉を聞いて不思議な感じがしました。自然が減って、自然がある方が豊かな気がしていましたが、人の世も豊かなのかもしれない と改めて思いました。 

4.一瞬一瞬が未完の人生の頂であると感じました。本日は素晴らしいご講演ありがとうございました。 

5.写真もお話も音楽もとても素敵でした。少し前に、チベット 2 世のインド出身のチベット音楽歌手の方とお話しをする機会がありました。そのとき、頭ではなく心という話がありました。今回のお話や音楽を聴いてそれを感じました。戸髙さんの歌は今だけ聴くことができてそれに対して心地よい気持ちを感じました。音楽は「今」だけのものですし、この講演も「今」だけのものでした。聴いたお話はこれからの基盤となります。貴重なお話をありがとうございました。 

6.講演中も、配布資料内の文章も、戸髙さんがお使いになる「言葉」がとても温かくてきれいで、そし てずっしりと重みがあって、大変心に響きました。「言葉」のない世界での経験が「言葉」を大切に紡ぐ戸髙雅史氏という人間を創り出していったのかなと、勝手に想像してしまいました。本日は素敵な講演を、そして力強く大切なメッセージを届けてくださりありがとうございました。久しぶりに山や自然に向き合いたくなりました。 

 

こころに響くご感想をいただき、ありがとうございます。 

写真は、ほとんどのものが「はっ」と観じた瞬間にシャッターを押したものです。ショルダーベルトにホルダーをつけ、感じた瞬間に構図を意識もせず、押しています。そこには、私の意図は入らず、 見ていただいたみなさんと一瞬の自然の講演のなかでの一期一会の出会いと言えるでしょうか。 一瞬一瞬が未完の人生、音楽も講演も「今」、そして「言葉」のない世界での経験から生まれる豊か な「言葉」の世界。講演を通してのご縁に深く感謝致します。 

ありがとうございました。 

 戸髙 雅史・戸髙 優美

※最後までお読み頂き、ありがとうございました。
学校講演や企業研修でのライブな対話会も行います。
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