学校、企業、行政、他様々な団体様向けの企画もオーダーを頂き、
丁寧に打ち合わせを進めながら創り上げさせていただきます。
戸高ひとりが指導者・ガイドとしてお受けさせていただく形や
キャンプや登山の全般の企画・運営・指導までを講師も合わせて
チームとしてお受けさせていただく形も対応させていただいております。
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● 実績
- 公立中学校の富士山での林間学校
- 都立中学校の筑波山での登山研修
- 都立高校の富士山での奉仕の授業(自然体験活動)
- 昭和医療技術専門学校三年生の富士山での勉強合宿&自然体験活動
- 医療法人社団 昭和育英会の中間管理職の西丹沢での研修
- 外資系企業の富士山での研修他、多数
● 医療法人社団 昭和育英会 西丹沢管理職研修レポート
○ 2017 「丹沢:魂のキャンプ」感想~ さんちゃん
静かなる興奮が終わった・・。 それが、今回の丹沢の帰りに浮かんだ言葉です。 静かでありながら、しかし、そこには確かな熱、興蛮があるという感じです。体の中にしばらくその熱がこもり続けた感じでした。 素晴らしい二日間でした。 僕は、今回、いままで森に入ったことのないメンバーとの研修をとても楽しみにしていました(香取先生はなんだか余裕ありのお姉さん態度!(^^))。それぞれが、どう行動し、そ してどう感じるのか、どういう表情をするのか、皆の悶えるところを見たいなぁ(変態ではありません・・)・と、ニャニヤと楽しみにしていたんです。そして、その想像以上に素晴らしく真剣で、そして素晴らしくあたたかく、その場の何かに包まれているよう二な日間 でした。
ピークもいくつもあるのですが、まずは振り返るとその中心は、夜の焚火を囲んでの対話にあったかと思います。それと次に滝登り。その 二つを大きな軸に、森、沢登、滝行(笑) があり、最後のブナの森、そして尾根からの開けた大きな大きな風景。すべてが大きな場 として存在していました。
夜の対話では、色々と話しましたが、印象に残っているのは、いま自分が感じる恐れについての対話です。それぞれがそれぞれの立場に立って、今の自分を語っていました。 象徴的なのは、やはり 、につしーが最後に語っていた愛という表現。そのような豊かな言葉を、仕事上の仲間や場に用いることができること、あれは、普段のにつし一の感性に加えて、あの夜の場と火が、言わせた言葉にも感じます。皆が、いまこの瞬間を生きている、そんなことを感じた一人一人の言葉と、そしてみんなで、大地との繋がりやエネルギーとして感じた直火での焚き火を中心とした「場」として対話の深い共有に、そこはかとない幸せ感を感じました。これは、きっと僕だけではない氣がします。みんなも同じことを感じたのでは。まささんも含めたあのメンバーだからこその場、そんな場だったんだなと振り返っても思います。
悩みの中から紡ぎ出される一言一言にも、その人の今のあり方が、映し出されていました 。 (焚き火越しの皆の顔がそんな顔でした。FOS 通信に出てた顔ですね!) 滝登りは、最後のシェアで言った通り、皆が必死で真剣な場でありました。普段の仕事、普段の生活で、命を懸けるぐらい 、必死で真剣な場というのはありません 。どんなに仕事がんばっている、と言っても、本気で葉をくいしばって岩にロープにしがみついたあの滝登りのほうが絶対必死だったでしょ 。だからこその、あの終わった後の会心の表情 、笑顔だったのだと思っています。あの感覚を持って、日常に臨むならば、恐れるものは何もないのではないか、自分の感覚のみを信じてもいいのではないか 、その上で必死になれば、仕事も自分も見方が変わるのではないか、最後のシェアではなんかそのようなことが浮かんだんです。 皆にとって素晴らしい体験になった氣がします。 そして、まささんの笑顔も、あり様も、2日間を通していつにもまして自然で楽しそうだったと思ったのは私だけでしょうか…(^^)
個人的には、最後のいつものブナの森。いつもいく自分だけのスポット、風の通り道。あの森に合って、風の流れが見えて、感じられる特別な場所です。 初めて、あの丹沢にいったのが 2013 年、早いものですね。行くたびにご挨拶するその場所は変わらぬ存在感をしめしていました。 あのときの気付き、そして初めてのまささんとの出会いから、 5 年が経ちますね。 今回初参加の皆さんは、あの時の僕のように、何か自分だけの特別な気付きは今回あったかな。 あの時僕が感じた風は、普段は姿形は見えないけど、確かな存在感で僕の頬を撫でていました。はっとさせられました。強い光を放つ太陽でも、めぐみの雨でも、壮大な森でもなく、僕は、風のように盟々と生きたい。疲れた、汗まみれの旅人を、気付くとそっと励ます、普段は気付かれないやさしい風のような、そのような存在でいたい 。強風で人を動かすのではなく、強い太陽で人を動かすのでもなく…、そんなことを考えた2013 年を思い出しました。
2013 の感想文も読み返してみました。そして思ったことは…、僕はこの数年間で、より「一緒にいたい」本当の仲間をふやしたなぁということです。 あの時感じたものは、今の僕の序章であったこと、その感覚は今も変わらない感覚であったこと、そしてそこからの繋がりが今回に繋がっていること…。 感謝。 「静かなる興奮が終わった…でもその波動は今まだ続いている・・・」
一緒の時を過ごした仲間に、全ての時間を共にした大きな自然に、そして戸高雅史に。 ありがとうございました。 追伸 今回の滝では久々に爪を2枚剥がしました。 そして僕は、最後の山頂で、富士山を見れたことが…、いまだ一度もありません…(笑)
○ 一瞬一瞬を必死に生きる ~ にっしー
正に、一瞬一瞬を必死に生きた時間でした。 この体験は今後、何にも代えられない、私の大切な大切な宝物になるでしょう。
2017 年 6 月 8 日(木)、たくさん不の安と少しの期待を胸に 、F O S ベースヘ向けて出発。 道中で予報通り降り出した雨が 、F O S ベースに着くとすっかりあがり、笑顔で出迎えてくれたまささん、可愛く温かみのある素敵なスウェーデンハウス、旅の始まりはいつもの通り、すごく穏やかな空気に包まれていました。
温かいコーヒーを滝れて、自己紹介と今回の研修への思いを一言ずつ。そして今回の研修で呼んでもらいたいニックネームの発表。 私は実は、森のリトリートの時と同様に、‘” さえ ”にするか少し悩んでいました。 しかし、結局富士山の時と同様、” にっしー” を選んだ理由は、今回の研修では、” 西川朝美” として、現実世界を生きる自分として、自分と向き合い、様々な状況に対峙したいと思ったからです。 その理由は、今回の研修がまた、自分の人生に於いてとても大きな体験になると、予感していたからかもしれません。
今回、さんちゃんからの始まりのメッセージは、特定の印象を与えるものではなく、それぞれがそれぞれで思うものを大切にして、そこから得られたことを自分の状況や感覚に落とし込んで欲しい、というような内容かな、と私は理解しました。なので私は、特にテーマを持つことなく、今回の研修を始めてみようと思いました。 (そんなところで、まささんの第一声がまさかの熊よけスプレー・・・。 あの一瞬だけは、何が何でも熊に遭遇せず無事に帰還したい、というのがテーマになった気がします笑)
推定何キロでしょうか、今まで背負ったことのない重さのザックを背負い、 一泊二日の研修へ出発。少し前まで雨が降っていたのが嘘のような晴天。しかし森に入ると、森全体が涅った独特な匂い、足元の土と落ち葉は、ぬかるんでいました。
初めこそ、体にのしかかる荷物の重さを感じながらも、順調に歩いていましたが、道が下りになった途端に、私の足取りは不安定になり、前を歩くなっちゃんとの距離が少し離れることが増えました。 私はこの時、必死というよりも躍起になり、楽しむ気持ちを体の奥底に沈めていた気がします。その後も続く不安定な道と、思い通りにいかない自分の動きに、私は少し焦り始めていました。 斜面を下りきり、さらに少し舗装された道をくだって、さあこれから少し登り始めます、というところで、私は思い切って順番を後ろに変えてもらいました。 思い切ってなんて大げさかもしれませんが、私の中でこの選択は、今回の研修での自分を受け入れる第一歩だったのです。
それから先は少し気持ちが楽になり、周りの風景にも目を向ける余裕が出来ましたが、その後の沢でまた少し不安と焦りと戦い、なんとかベースとなる滝の前に到着。 最後の感想だったかな?でも述べましたが、私にとってベースにつくまでは本当に過酷なもので、想像していたものより数倍も辛かったです。
結局のところそれは、自分で自分の首を絞めていただけなのですが、私は普段の仕事の時でも、そういう傾向にあるなーと、気付かされた初日の体験で。した (平たく言うと、強がる自分や良く見せようとする自分が、結果自分の足を引っ張っているという感じです。) まささんが着々とベースを作ってくださり、全員で焚火の準備をして一段落。
なっちゃんと竹さんが、水辺で真剣にお酒を冷やしている後姿が、今でも目に焼き付いています。(笑) そして噂の滝の前に、全員集合 。(今思えばこの時、まささんは 一人で夕食の準備をしてくれていまし たよね・・・。 ありがとうございました!) この時、入るつもりも入らないつもりもなかった私は、さんちゃんの呪文のような一言で、まさかの入水。というよりむしろ、入らない理由がなかったという方が正しいかもしれません。
気が付いたら体が勝手 に、眼鏡をなっちゃんへ渡していました。 それからは、全員びしよびしょになり、ある方はお尻丸出しで撮影会。後日さんちゃんからもらった、私が滝に打たれている写真を見てうちの母がぽつり・・・「とても33 歳には見えませんね」。 童心に返るとは正にこのこと!と思うくらい、純粋に、楽しい時間でした。(滝の前で撮った集合写真、 本当に皆良い笑顔をしていますよね 。)
乾いた服に着替えて、夕食の準備・・・と言っても、まささんがほとんど用意してくれたのですが、お肉にスープにナンに魚に…どれを取っても全て最高!なんて贅沢!特にスープは、まささんの味付けにひれ伏す勢いでした。 そして食事が美味しいと、お酒も進む進む・・・。なんだか今思えば、恥ずかしいようなことまでべらべらしゃべった気がしますが、それだけあの ”場” が、ありのままの自分でいられる時間だったと思います。
「この世で、もしくは人生において、一番怖いもの ・恐れていることはなんですか?」
という質問に、まささんは「自分の感覚や軸がブレること」と答えてくださいました 。何も考えずに聞いた質問でしたが、私はそれに対し、何も返すことが出来ませんでした。 ただ、さんちゃんがよく言うかっこいい大人とは、正にまささんのことだなーと感じましたし、まささんの…なんと言うか深さや重みを感じる言葉でした。 私は、「愛する人との別れ」と答えましたが、これは自分が死ぬということより、私が愛する人達と別れなければならなくなった時、自分がどうなってしまうのか、ということに恐怖を感じます 。 そしてこの愛する人達ですが、もしかしたら皆さんには引かれてしまったかもしれませんが。
さんちゃんと一期生のお二人には、ここ 最近この感清に近いものを感じている自分がいました。 家族や友人ともまた違いますが、愛という表現を使っても違和感のない存在であることは、私の中で確かなのです。(それがいつからなのかは、正直分かりませんが…。) そしてこの気持ちを伝える時は、なんとなく今しかないと思ったのですが、酔っていたせいも少しはあるかと思います(笑) これに関連して言うと、”横浜つづき整形外科”という場も、私にとってとても愛しい存在です。 山藤先生と伊藤先生と私で作り上げてきた(もちろん、関わってくださった全ての方の存在に感謝ですが)、私にとって唯一無二の場所です。 いつも文句ばかり言っていますが、自分が ” 愛” を感じることが出来る人や場所がこんなにあるということは、私は幸せ者なんだなーと思います。 今までの様々な出会いと体験に、感謝したいと改めて思いました 。
夜も更け、就寝タイム。マットー枚と寝袋だけ…。寝れるか心配でしたが、緊張と疲れとお酒も手伝 い、あっという間に寝ていました。 夜中目を覚ました時、焚火の横に白い大きな物体が…。寝袋にくるまったまささんだと気が付くのに数秒かかり、一瞬ゾッとしたのを覚えています。
朝は鳥たちの鳴き声が目覚まし代わり 。みんな思い思いに周辺を散策したり、ごろごろ寝転がったり、温かい朝食を頂きながら太陽の光を眺めたり、とても気持ちが良い時間でした。 名残り昔しさを残しつつ、お世話になった” 場” と見守ってくれていた滝にお礼をして、再び重いザッ クを背負って沢の中へ。
上りもなかなかでしたが 、下りも結構手強いものがありました。 そして割とすぐやってきた滝登りの試練。「えっ、マジで?!」という言葉しか出て来ませんでしたが、素手ですいすいと登っていき、上に行ってしまったまささんを見て、「もう逃げられない…」と思いました。あれほど緊張したのはいつぶりだろう…思い出せないくらいです。 しかしあの時ふと思ったことがありました。こんな景色を見て、こんな体験をして、そしてこれから先に進むには、まささんがいないと進めないわけで、知らない世界にどんどん入っていくような、うまく言えませんが、不思議な感覚を感じていました。
皆が一生懸命登っていくのを見届けて、いよいよ自分の番が来ました 。やるしかないと腹はくくりましたが、緊張はヒ°ー クです。 手と足の感覚と自分の体のバランスに、これでもかってくらい気を通わせながら一歩ずつ一歩ずつ登ります。自分で考えて確かめて選んで出す一歩。必死に、という言葉以外ふさわしい言葉はないのではな いかと思うくらい、必死でした。
その後はしばらく沢を登り、一度着替えて今度は登山です。これもまた、傾斜がなかなかきっく、汗をかきかき息もはあはあで登りました。しかし足取りは、初日に比べて断然良くなっていると、こっそり自画自賛していました。
土と落ち葉を踏みしめる足の感覚や自分の息づかい、鳥の鳴き声、風の匂いや音、木々の色を大切に感じながら、ゆっくり登っていきました。 (途中出くわしたリードに繋がれた犬が、一瞬本当に熊に見え、頭の中ではなぜか、年末 恒例番組 の”笑ってはいけない~” の中で、笑ってしまった時に流れる曲が勝手に流れ、恐らく心拍数は滝登りの時の上をいく数値が出ていたと思います・・・。)
足元に青々とした草が増え始め、傾斜が緩やかになってきたなーと感じると少し先に、開けた明るい場所が見えてきました。ゴールの高指山山頂でした。 そこはいっぱいの太陽の光と、雄大な景色で私たちを迎えてくれました 。
たった一日ですが、眼下に見える建物や人工物の数々が懐かしく感じられたと同時に、聞こえてくる車の音や町内アナウンス(?)の音に、少し寂しさを覚えました。 今回の研修は、最後のシェアの時も話しましたが、始まりと終わりがはっきりしていないというか、「あー!終わった一!」という感覚が一切ありませんでした 。 ありのままで森に入り、そのまま帰っていくイメージです。 それに対しまささんから、「今回の研修は特別なことではなく、普段の皆さんの延長線上にあるのではないでしょうか」というような内容のお話を頂きました。 私はそれを聞いて、ものすごく嬉しかったです 。 場面場面を切り取ると、非日常なことはたくさんあったと思いますが、全体を考えた時、ばかっと切り取れるイメージが全くなく、語弊があるかもしれませんが、 一つの”出来事!として流れていくような感覚があります。 もちろん、ここ最近”自然派研修”に参加させて頂く機会が多かったのも一つの理由だと思いますが、今回この 4 人で参加したこと、そしてその 4 人の中に既に在るものが 、そういう感覚をもたらしてくれたのかもしれないな、と感じました。
(余談ですが、まささんから頂いた、「にっしーが一番、最初と印象が変わった」というお話ですが、私は何故か昔からそう言われることが多いので、これは不思議だなーと思いました。)
必死になって一瞬一瞬を生きた世界、思い返してみても、そのどれもがキラキラ輝いているものでした。そして私は、自分を受け止めるという、とても重要なテーマを頂きました。 最後のまささんギターと歌を、私は目を瞑って聴いていました。 二日間の皆の笑顔や、自然の景色が走馬灯のように浮かんできて、何故か泣いてしまいそうでした 。
私はこの研修で、生きること、愛することの素晴らしさを改めて教えてもらいました。 まだまだ伝えきれていなく、だけど文章にするのが難しい思いがたくさんありますが、それはまた別の機会にでも、皆さんとお話し出来たら良いなと思います。 まささん、さんちゃん、なっちゃん、竹さん、まっちゃん、本当にありがとうございました。