自然、宇宙、いのち、極限、自然とひとの共振。
いのちの瞬間性や一瞬の無限などをテーマに、スライドショウを交えた対話形式の講演をしています。
小学校高学年から中学校、高校、大学・専門学校。
また、企業様などの職員研修や幹部研修では、ヒマラヤ登山での極限を生き抜いてきたストーリーや自分と向き合うありよう、そしてひとと自然、ひととひとの共振を講演を通して体感され、それぞれの方のなかに温かな余韻となっているようです。。
■ 講演の組み立ては
真なるものを求めて登り続けてきたヒマラヤ登山のストーリーから始まり、やがて日本の清らかな水と緑に溢れた日本の山々へのスライドショウで進めてまいります。
次第に、直観で音楽も重ねながら、講演会の「場」は写真を通した自然との、そして共におられる方々との共振が深まってゆきます。
後半は、自然の一瞬を切り撮った写真をみなさんにダイレクトに観じていただきながら、一期一会の「いま、ここ」の共振をこころゆくまで楽しんでいただきます。
休憩の後、対話形式の質疑応答へ。
会の時間次第で構いませんが、参加者のみなさんの年齢によっては、受けとめ方、感じ方により、この対話(質疑応答)の場が大きな意味合いを持つように感じます。
場合によっては、二時間過ぎても質問がやまず、私と参加者のみなさまとの対話を通して、「場」が限りなく深まってゆきます。
フィナーレに、楽器の演奏などができるようでしたら、各自が自由に音を奏でる音楽セッションで締めくくりとさせていただいています。
標準は1時間半程ですが、 ご希望に応じて、30分から3時間位の組み立てをさせていただいています。
ご希望に応じて、スライドショウなしの「語り」だけでの講演もさせていただきます。
■ 講演料の目安
企業様など 20万円~
学校関係 の方はお問い合わせください。
その他、個人で主催される場合など、できるだけお応えさせていただきます。どうぞ、お気軽にお問い合わせください。
下記講演、中学校(2004年)、昭和医療技術専門学校での「医療人特論」、
昭和医療法人社団理事長 山藤氏の私塾「山藤塾」(2018年)のみなさまのご感想もどうぞ、ご参照ください。
2004年、初めていまの、ヒマラヤの写真や日本の山々の写真に音や楽器、歌を重ねてゆく、私自身のこころの琴線にふれた瞬間をお伝えするようなスタイルの講演をさせていただいた長野県の穂高東中学校での全校講演から生徒さんの感想をお伝えさせていただきます。
○ 一年生の女子生徒さんから
今日の講演会「いのちの喜びとともに」を聞いて、私は、何故、戸高先生は、十五年も山に登り続けたのかと疑問に思いました。しかし、その疑問は、感動に変わっていました。
最初、防寒靴や防寒着、ピッケルやテントを見せてもらった時、どうしてこんな寒くてつらい思いまでして山に挑戦するのだろうと思いました。ヒマラヤ山脈は、世界でも有数の山で、険しくて死の危険さえつきまとう山々だと聞いています。しかし、そこを生きて帰ってきた戸高先生。戸高先生の撮影された写真の数々を見て、息をのみました。
雪をかぶった雄大な山。大陸同士がぶつかった跡のわかる地層、山から見た太陽、山の上から見た雲海。戸高先生が山に登り続けた理由がわかったような気がしました。常に危険と隣り合わせの登山だからこそ、そこに達成感と感動、そして、あの写真のような素晴らしい自然がある。だから、登り続けたのではないかと思いました。そして、挑戦する心と自然を大切にする心を持ちながら山と生きようとしたのではないかと思いました。「人の生きるところは、山の上ではなく、そのふもとなんだよ。」と、おっしゃっていたけど、その話を聞いて、山は、一つの生き物だと思えました。戸高先生が見せて下さった、あの景色を、あの自然を人の手なんかで壊しちゃいけないと思いました。
今日は、学校での登山で不安な私の気持ちを、戸高先生のお話のおかげで、挑戦する気持ちに変えてくれました。まだ怖いと思う気持ちはあるけど、怖くなった時には、戸高先生を思い出して頑張りたいです。
戸高先生、ありがとうございました。
○ 二年生の女子生徒さんから
私は、中一で初めて登山に挑戦し、乗鞍岳に登りました。しかし、正直言って、これといった感動も発見もなく終わり、それ以来、登山に興味もありませんでした。
大きなリスクと苦しみを味わってまでして、多くの登山家の方々が何を得ているのか、不思議でしかたがありませんでした。しかし、今日の戸高先生の講演を聴講している中で、先生の話す体験の一つ一つや、スクリーンを見て味わった一枚一枚の風景写真が、私自身の心にストレートに響いてくるものばかりでした。
なぜ、これほどに美しいのか、美しいと思えたのか、自分でもわかりませんが、一つ思ったことがあります。
山の頂上というのは、人間が自分自身の足で踏み、歩き、立ち、風景やそれ以上のものを味わうことのできる場所の中で、一番高く、一番宇宙に近い場なのです。まだ、何の手も加わっていないその場所まで、一歩一歩自分の足で登るというのは、私の想像以上に大変なことに違いありません。しかし、そこで感じる地上とは思えない風景に魅せられて、また何度も登りたくなるのかもしれません。
これから先、宇宙旅行が実現するのも夢ではありません。そこから見える地球は、たくさんの生きる命が青く美しく光り輝いて見えるのでしょう。私もいつか、その宇宙に一番近い場所で、自然や「いのち」について考えることができたらと思います。
○ 三年生の男子生徒さんから
今回の戸高先生の講演会は、今までの先生とは全く異なり、目や耳を使って聴くというとても印象的な講演会でした。
前半は、チョモランマやK2などのヒマラヤ山脈の山の写真を写しながらの講演でした。多くの写真のなかで、僕は、人が米粒のように小さく映っていて、巨大なクレバスが、大きな口を開けている写真に興味を引かれました。蟻のように小さな人間と写真に入りきらないほどの大きな、どこまでも続くような穴との対比が、とても恐ろしかったのです。一歩足を踏み外せば、とたんに穴に飲み込まれそうな感じがしました。
しかし、恐ろしいだけでなく、穴と人との対比は、人がちっぽけに見えるようでもありました。穴が、巨大なのではなく、人間が、ちっぽけなんだと思えるような気がしたのです。
しかし、戸高先生は、講演の中で、「山を登っていると、自分の体が、山に溶け込んでしまうような気持になります。」と言っていました。ああ、写真を見て感じることと実際に自分の目で見て体験をして感じるのとでは、訳が違うのだなと思いました。きっと、戸高先生は、大きなクレバスの穴を見ても「恐ろしい」という感情以外にも、もっとたくさんの感情が、あふれ出てきたのではないでしょうか。
ぼくは、まだ山に登ったことがありません。でも、戸高先生の話を聴いて、山に溶け込んでしまうような、そういう気持ちになってみたいと思いました。いつか、必ず、山を登りたいと思います。
● 特任教授をさせていただいている昭和医療技術専門学校の二年生 「医療人特論」より
○ Kさんから
戸高先生は、私たちと同じ年くらいの時に、「自分にとって未知なるもの」として、山に行けば「何かがみえる」と思って山に行くようになったとおっしゃっていた時、私にはない「行動力」や「覚悟」を持っていらっしゃると感じました。
心で思っていても、実際に行動に移せないことは、たくさんあります。その中で、先生は「行動力」に優れていると感じました。
例えば、最初のヒマラヤで生命の危険を感じたが、「もう一度ヒマラヤに行って自分を試してみたい」と感じ、ひとりでヒマラヤに挑戦したというお話でも、「行動力」があるからこそ、先生は一人で挑戦し、成功。「自分なりのゴール」に辿り着けたのだと私は思いました。そんな先生のような「行動力」のある人、「行動力」のある医療人を目指してゆきたいと感じ、その先に「何かがみつかれば」と思っています。
そんな「行動力」というのは、自分から「発振」することであり、本日のテーマである「共振」に繋がっていると思いました。先生から発振される「エネルギー」だったり、「音楽」や「声」というのは、私たちに真っすぐに伝わりました。「共振」するには、自ら何かを発振しなければ始まることもできないと感じ、また、感じたものを受け入れることも大切だと思いました。
自分から発振すること。自分から伝えようとすること。それがあって「共振」出来るということに気づくことが出来ました。本当に想っていることを伝えることで、相手からも何かを感じることが出来るということを忘れないで、相手に寄り添ってゆけたらと考えています。
先生のお話の中で、「もう引き返せない」と感じた時に、「ゾーン」のようなものに入り、「いま」しかみえなくなったと聞き、私も感じてみたいと思いました。
私は未来や過去を考えず、「いま」だけを考えた経験がありません。むしろ、常に未来を気にしてしまって「いま」を感じることを疎かにしてしまっているのではないかと感じました。なので本日のこの時間に感じたこと、その「いま」感じたことを大切にしていきたいと思いました。
また、「次にみたい景色や場所はどこですか」の質問に対して、「いま、この場」こそがかけがえのない「場」であり、みたいものですとおっしゃっいて、すごく感動しました。
「いま」みているもの、「いま」感じてること、「いま」いる場について、よく考えてみようと思うことが出来ました。
戸高先生の素敵な歌声やギターに合わせて流れるスライドショーの写真は、私たちには見たことのないもの、未知なるものがたくさんあって、とても感動しました。本日は、先生の素敵なお話をしてくださり、ありがとうございました。先生の強いエネルギーのようなものを感じることが出来ました。
戸高雅史先生のお話は、大自然の中での体験談や極限状態(ゾーン)での感性など、とても興味深いお話が数多くありました。自分では経験することが難しいのではと考えてしまう事や、「いまという瞬間」、そして「命の尊さ」などを考えるきっかけとなりました。
なんとなくで生活し、日々を送ってしまっている自分が、共振できる事などをみつけるなど、「いまという一瞬」に全力で取り組んでゆこうと思うようになりました。
また、戸高先生は大自然のなかで撮影された美しい写真を数多く見せてくださいました。どの写真も本当に美しいものばかりで、自然と心を奪われていました。
● 山藤塾(2018年11月)の参加者のみなさまのご感想より
○ M氏(サッカー関係者)
講演はじめからから戸高氏の空気に引き込まれ、自然界の力を感じることができた 。研究者の言葉ではなく、 経験から伝えることに自然と心が開 け受け入れることができた。 経験が人を変えていく、世界最高峰の山々を登頂することにより、生きるために最適な選択 をする。生 きるか 死ぬかの選択を迫られた方しか 言えない 言葉であった。
私も 2 0 1 0 年スイスのザースフェ イに 行くことができ、ロープウェ イ などを乗り継 いで 3 4 6 2 mの展望台に行ったことがある。酸素の薄さ、目の前に広がる、氷河、雪の壁の世界、氷の洞窟、この世界を見たとき、自然の怖さや、自然がつくる神秘の世界、山を好きに なる理由が少し分かった時間だった。
人と自然の共振、私も選手との振動と振動が共振することによって、初めて良い治療やトレーニングができると感じている 。人と自然の共振、この都会の中で暮らしているとなかなか感じることができない自分がいる。自然を感じることの大切さも学んだ 。 戸高氏は五感に優れているかと思うが、第六感も人より優れているように思えて仕方ない。現代社会では見て判断することが多くある、五感があって六感がある、私も五感をもっと高めていかなければならない。
戸高氏の話の中に「一 回受け止め ると楽になる。涙も流す、素直になり、自分の立ち位置がわかる」 非常に心にのこる言葉であった。
○ Nさん (整形外科病院)
待ちに待った、まささんの講演でした。 始まる前にご挨拶をさせて頂きましたが、きちんとお会いするのは久しぶりで、少し緊張 をしていました。しかし、少し挨拶を交わしただけでしたが、まささんはいつものように温かくとても誠実に対応してくださり、私はその瞬間ホッとすることが出来ました。 そして、「ああ、まささんだな~」と安心?にも似た気持ちになりました。
講演は、もう初めからまささんワールド全開でとても楽しかったです(笑) あの滝の音が冒頭から流れていましたが、懐かしい気持ちと反面、こんなに大きな音がする中過ごしていたのだなーと、あの場で聞く音と教室で聞く音とでは、なんとなく感じ方 が違うような気がしました。 自然の中にいる自分と、雑踏の中にいる自分と、少し心と体が分離していたことに気が付きました。 しかし、まささんの声を聴きながら、段々とその世界に浸み込むようなイメージで、体が楽になって視界がぼやけるような感覚がありました。
他の多くの方もそう思うかもしれませんが、私の中では圧倒的に、まささんのその”声”を聴くことで、空気全てががらりと変わる気がしています。 ”よく通る声”とかいうことではなく、ごく微妙な振動というか、その空間にある粒子全てを変化させてしまうような、うまく表現出来なくてとてももどかしいですが、そんな感覚です。 まささんが今まで体験してきたこと、そしてそれを伝えていくということが、全て詰まっ ているからなのでしょうか。 私はいつも、うらやましく思います。
講演の中で、「自分の感覚」という言葉をよく話されていたと思いますが、私はその言葉を聞いて、沢登りの時のことを思い出していました。 あんな体験もちろん初めてで、荷物を詰めている段階で不安とクマが出たらどうしようという恐怖しかありませんでしたが(笑)、重い荷物を背負って斜面を下ったり沢を登ったり 素人の私には修行かと思うような(もちろ ん、研修の一環ではありましたが …)行程の中でも、まささんは最低限のアドバイスをくださるだけでした。(先に言っておきますが、悪ロではありません!)
自分の足で一歩 一歩確かめながら、そこから伝わって くる感 覚を頼りに 歩みを進めるしかありません。 その瞬 間は、誰がどうとか誰にどうとかいうことではなく、自分と大地のつなが りを感じながら、正に、まささんがおっしゃっていた 「今この瞬間」=「生きるために最適な選択をする」ということに近い体験だったと思 います。 (もちろん、 まささん が体験してきたこととは 雲泥の差があると思いますが 。) そして、私個人の 体験ももちろん ですが、参加したメンバーの行動や言動や呼吸の一つ一つが、あの場 を 作り上げていて、それは本当 に言葉では言い表すことの出来ない、二度とない素晴らしい空間だったと思います。
思い返すと、もちろんはっきりと思い出される情景もありますが、所々が、濃密なのにぼんやりとしている感覚があります。 私達があの場に居たことで、あの場にも何か変化をもたらしていたとしたら、それが素晴らしいものであった と願うばかりです。 私には、感謝しかありません 。
幸いなことに、私はまささんとは富士山子どもプロジェクトと沢登りの 2 回、ご一緒させて頂く機会がありましたが、あのような様々な職種の大人ばかりがいる場では初めてでした。 なんとなく、まささんの空気感は知っているつもりでしたが、先日の山藤塾ではまた新たな一面を見たような気がします。
ですが、出てくる質問自体が、やはり子どものとは違うのでそれもまた面白かったのですが、それに対してのまささんの答えが、入り方はいつもと違っていても、出るころにはやはりまささん!となるのがなんだか嬉しくて、ますますまささんのことが大好きになりました(笑)。 他の方も、きっとそうではないでしょうか 。 山と人をつなぐ登山家・戸高雅史の人生に少しでも触れられたことで、私の人生はそれ以前とは比べ物にならないほど豊かになりましたし、失礼な言い方になってしますが、と てもハッピーです。
私は最近、私の周 りで 起きた 様々なことを 受けて、「人」ということについてよ く考えることがあ ります。 まささんにとって、「人として生きる」とはどういうことなのでしょうか。また機会があれば、焚火を囲みながらお話が出来たら嬉しいです 。それま で自分の中でも。じっくり温めておきたいと思います。
「生きるために最適な選択をする」 この山藤塾に参加した私を含めすべての人が、「”より 良く”生きるために最適の選択をした」と思います。 そしてその機会を与えてくださった山藤先生、まささんには本当にお礼を申し上げたいと思います。 ありがとうございました。
※まささんファミリーやっばり素敵です。うちの家族も、なかなかなものだと思っていましたが、さすがに敵いません! 家族とは良いものだと、シンプルに思いました。 ゆうみさん、ちーちゃん、ひかりちゃんにも感謝です。
○ Yさん(大学生)
先日は貴重な時間を過ごさせて頂 き、本当 にありがとうございました。 私は毎季行われる山藤塾を本当に楽しみにしていて、今回はどんな話が聴けるんだろうと毎度ワクワクしています。しかし、いつもは同級生しか周りにいない状況で授業を受けている私は、素晴らしい方々と 素睛らしい方のお話を聴くことはとても緊張する場でもあります。 しか し、今回の山藤塾は自分でも驚くほど緊張しませんでした。むしろ緊張どころか、躊躇うことなく質問をして、歌も太鼓も全力で歌って叩いてと、こんなにリラックスしていて良いのかなと後になって考えてしまうほど、のびのびと参加させて頂きました。
後になり、「なんで あんなに緊張しなかったのだろう」と考えてみたところ、これかもしれないなと感じたこ とが 2 つあります。 1 つ目は、初め て戸高先生にお会いしたにも関わら ず、どこか昔から知っているような雰 囲気と、お話をして いる時の瞳がすごく自分を受け入れ、 認めてくれているよう な優しい瞳であった ことです。
最初 にお話を始めた時、こんなに優しい表情で一人一人見ながらお話しされるのだと驚きました。また、その瞳が自分に向けられたときは、学生のわたしにもまっすぐな瞳で語りかけてくれたことにもっと驚き、それと同時に本気の心を感じました。
初めてお会いする方がほとんどの中で、一人一人に想いを伝えることは簡単なことではないと思っています。しかし先生のまっすぐな瞳は、一人一人をしっかりととらえていて、優しさがありながらも自分の経験を伝えるための本気さがすごく込められていました。また、戸高先生の優しく強い瞳は、人にだけではなく、全ての物や生き物、自然に対しても向けられているものであるからこそ、写真の中の先生と山と空が強い絆で結ばれていると感じたのだと思います。
2 つ目は、川の流れるビデオを 10 分程度みんなでみたことで、参加者全員の心から一体 感 が生まれたことです。同じ空間の中で自然を共にしたことから、先生がながしてくださる写真の中に本当に皆さんと行っているかのような不思議な感覚に包まれました。
また、このような雰囲気や空気感を写真の中の自然とも感じることができ、生きるためにはみんなで認め合って支え合っていくんだよと語られているように感じました。そのような雰囲気や空間も、戸高先生のあたたかい心があって生み出されているものだと感じます。私も、自分の行動や言動が誰かの心に響き、温められるよう感謝を大切にしていこうと思います。私も機会があれば戸高先生と山に行きたいです。
○ H氏(F薬品工業株式会社)
厳しい自然とそれ故に美しい写真をバックに落ち着いたトーンでの戸高先生の語り口。水の音、滝の映像、感じたままを太鼓 にぶつける体験。快、不快でいえば圧倒的に快の感情に包まれた時間を過ごさせていただきました 。
ご講演の中で、K2 への単独登頂のお話の際に、「一人とは自然と共にあ る事」とおっしゃっていたことが大変印象に残っています。 私事ですが、名古屋市の海抜 Om の工業地帯の出身で、家の周りは コンクリートとアスファルト。遊び場所も道路か駐車場というところで育ちました。アウトドアについても趣味というほどの経験もあるわけではありません 。そんな自分であっても、森の中へ行くと何となく、繋がりというような感覚を得ることがございます。
また、一時期、訳もなく滝見物がマイブームだった期間があり、その理由は今にして思えば滝や清流に対しての心地よさを覚えていたからだと思います。この様に森や滝(川の流れ)に対して親近感を感じることについては、一個の生命として、生命力、そしてそれを形成させる源としての繋がりがあり、「自然と共にある」と無理なく納得、理解することができるのだ と思っておりました 。 自分の中では「自然」=生命環境というとらえ方が無意識のうちにあっ たため、これに関して、森林限界の先の世界、さらに先の“デスゾーン”(私は当然訪れたことがあ りません) で感じられた「自然」という言葉に若干の違和感を覚えました。
しかし、ご講演後の質疑の 中で、山や岩の波動と共振するというお話を聞き、目から鱗というか、腑に落ちた感覚を得 ました。自分の認識での「自然」の感覚は生命体(細胞?)レベルでしかなかったということ。そして、本来の自然とは原子、もっと言えば素 粒子のレベルであると気づかされました。この感覚があれば生命(地球生命)環境に限定する必要はなく、まさに地球外であっても太陽系外であっ ても「自然」として とらえられるということにな るのかと気づかされました。
「宇宙のリズム」という言葉もあったかと思いますが、自分として、体感としてそこまでの感覚を得たことはありませんが、仰っている意味については僅かなりとも感じられたように思います。高 度順応のできな いデス ゾーンの 8000m を超えることの難しさをお話されていましたが、その環境に身を置かないと、より生命環境から離れた、地球上でもっとも宇宙空間に近い場所 でなければ得られない感覚なのかもしれず 、正確に理解できた とは到底言えませんが 、自分の中の概念としての枠 を大きく広 げていただ いたことは確 かです。非常に大きな「 気づき」 をいただきました。
○ Y氏
ここからはまささんのお話をお聴きした感想をお書きします。 たくさんあるのですが、ここ では大きく 3 つについて書き たいと思います。
1 つ目は、単純に「ああ、こ の 人のようになりたいなぁ」と思ったことです。 そこに居るだけで 、その場を包み込むような存在、ゆったりと心の奥底から発せられる言葉、透き通るような歌声、細胞が感じるまま歓びを表現する少年のような純粋さ、ギターや太鼓 を奏でる仕草・・・。 そうした一つひとつに、壮絶な経験を通じたからこそ滲み出る、尊敬と憧れとはちょっと違う、 も っと単純な感 情なのですが、「この人みたいにな りたいなぁ」という感情が出てきました。 きっと僕自身がこれからの人生や生き方について、明確に言語化出来ないのだけれども理想として求め ているものがどこか心の奥底にあって、そうしたモヤモヤに“共振”したんだろうなぁ、と思います。
2 つ目は、「今、ここ」についてです。 僕は話をお聴きした最後まで、チョモランマ登頂の 夢は、まささんの中では実は諦めきれていないのではないか? と思っていました。 ただ今日 1 日時間を置いて、もう一度まささんのお話の文脈や伝えたかっ たことを振り返ったときに、実は本当に苛酷な状況や仲間を失っていくなかで、深い体験や思考の中から 、ある方向転換が芽生え、肩書や記録など誰かに評価されたり自己主張することではない「魂が開かれた瞬間」があった、そういうことを伝えたかったんじゃないか、と思うようになり ました。 悟りの境地にも似たようなものかもしれません。 真剣に生きているからこそ、死に直面してきたからこそ 、最も尊いことである、生まれてきた意味合いを見い出し、生きていく覚悟が定まったのではないだろうか、と思えるように なりました。 「生きていく世界は麓 にある」この言葉が示すところの意味がわかったような気がしています。
最後の 3 つめは「相互作用の重要さ」についてです。 随分前に読んだ本に、このような件がありました。はっきりと覚えていないのですがそこに は 「正しいか正しくないかを決めたり判断することよりも、お互いの持っている文脈をストーリーで共有し、話し合いを通して新たな意味を創り出すこと。価値も善も正義も合理 性も、人間が言葉を介して社会的に構成していて、社会的な問題とされているものは、その社会の 中の文脈でつくりあげられたものである」といった内容だったかと思います。 まささんが、「この場を僕が創っているんではなくて、お互いここに参加している人達で創りあげられている」という言葉がその件を思い起こしてくれました。 これからの日本に必要な学びは、まささんのお話にあったような様々な環境変化に適応して、新しい価値観、世界観、思考、知識、技術、行動を獲得することなのだと思います 。
まささんの壮絶なストーリーの中で、K2 登頂にあたり”孤独なんだ 。1 人で行きたい”とか、チョモランマの山頂アタックで”上の人と会話している感覚”といった話をされた際に 「その背景には何があるんだろう? 」と探究し、自らに問いかける内省的な時間 。これが僕にはとても心地よい時間でした。 そのような体験者をとりまく、他者との相互作用のなかで、自分自身を見つめ直し、新たな問いを立て問題を見つけ、解決方法を探ることに重点置くこと。そうした場での学びが必要なタイミングにきているんでしょうね。