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【リレートーク】北欧より帰国したちーちゃんレポート『LAGOM』

LAGOM(ラーゴム) ~バランスのとれた、幸せな生活への鍵~

ラーゴムとは・・・Lagom=多すぎず、少なすぎないちょうど良いバランスのとれた量や状態

トリスンダ島のボートハウス

Lagom(ラーゴム)とはスウェーデン語の単語です。日本語に訳すと「中庸」という言葉にあたります。「中庸」とは儒教用語です。孔子はこの言葉を「偏ることのない「中」を持って道をなす」と定義しています。私は、スウェーデンで現地の人々との交流、彼らの文化、生活に実際に触れる事を通してこのlagomという言葉こそ、スウェーデンに暮らす人々の幸せで豊かな暮らしの根底にある理念だと考えます。また、孔子は「四書」のなかで中庸を学ぶ意義をこう示しています。「天命これを性といい、性に従うこれを道といい、道を修むるこれを教えという」書き下し文にすると、「天が人に授けたものが人の本性であり、その本性に自然に従うことを人の道という。人が学ばねばならない道を修めるのが教育である。」

スウェーデンは、福祉国家や男女の平等、環境先進国として知られていますが、その根底には人々が美しく、ときには寒くて厳しい偉大な自然を心から愛し、一人ひとりの個人を尊重し合う精神があります。そのために、社会の制度は個人が自立して幸せな生活を歩んでいく事をサポートするために存在します。私は、高校時代に学校やバイト、塾などに通い、大変多忙な生活を送る中で自分は人生をどのように生きていきたいのかを見失いかけていました。今回の留学は私の「道」を修めていくとはどのようなことなのかを体得した、私の人生の中で大切にしたい心髄を考える機会になりました。このレポートでは私が10カ月間の生活の中で学んだスウェーデンとはどのような国なのか、そこに暮らす人々はどのような哲学を持っているのかを5つの視点から推考します。そして、これからの日本又は世界で個人が幸せで豊かな暮らしを送るためにできることは何かを提案します。

*真珠雲という北極圏内でしか観測する事ができない、オーロラよりも珍しい気候現象を数回目にする事ができました。とても、信じられないような美しい空でした

 

• 政治、社会  【民主主義】

スウェーデンの国民性は、一人ひとりが自分の所属する社会に興味関心と責任を持ち自ら働きかけていくという民主主義の精神に基づいています。これは、ただの政治体制にはとどまりません。人々は、日々の暮らしの中で当たり前のように民主主義を実践しているのです。私のホストファミリーや学校のクラスメイト達は、たくさんの本を読んでいました。また、映画やポッドキャスト、YouTubeなどを利用して幅広い分野での知識を得て学びを深めることを楽しんでいました。その、「娯楽」に専門知識や教養を深める学びが含まれているという意識の高さに感嘆させられました。情報公開、情報収集は「知る権利」を保障する民主主義の根源です。私は、コロナ禍をスウェーデンで過ごす中でこれらのことを体感しました。スウェーデンの対策として、ロックダウンを行うことなく自由な経済活動を継続させるという、他国に比べると非常に緩和な措置をとりました。これは、国のあり方を象徴していました。スウェーデンでは公的機関は政権から独立しています。今回の対策は、公衆衛生庁が知識と専門性に基づいて合理的な判断を行いました。私は、この体制に対してとても信頼性があると感じていました。論理的で科学的な根拠に基づいた説明責任を持ち、対策をとっている事が分かりました。これに対し、他国からは国民を使った人体実験を行っているといった激しい批判がありましたが、国民の意識が高いスウェーデンだからこそ実行できたのだと思います。学校では、友人たちとコロナとはどのようなウイルスなのかや、各国の対策についてよく話していました。政府からの勧告やテレビからの情報に限らず、自主的に様々なソースから情報収集を行い雑談の場でお互いに共有していました。6月9日に発表された市民緊急事態庁の調査によると80%は公民衛生長の勧告に従っていたそうです。又、福祉国家ならではの手厚い保障もありました。社会保障費負担の軽減や減税、家賃の半額負担などを企業向けに行いました。しかし、老人ホームや移民の方々の住む集合住宅地でクラスターが発生し、感染者や死者が増えている現状があります。まだ、コロナとの戦いは続くでしょうから一人ひとりの意識と政府や公共機関からの情報公開は重要な要素です。もう一つ、国民の意識の高さに関して紹介したい事があります。それは、若者の政治参加意欲の高さです。スウェーデンには8つの政党がありますが各政党が「青年部」を持っています。基本的に、13歳から30歳までの若者が所属する事ができます。青年部では年に数回、総会と勉強会を開き各政党から政策を持ち寄って議論をしています。後ほど、それらの政策を親政党に提案して実際の社会に反映することも可能です。私のクラスメイトで活動している子もいました。政治に参加するとは、国民であることを意識して現在の社会、将来の社会に当事者意識を持つことができる重要な役割がある事がわかりました。投票率も80−90%で日本の30%以下という数字に比べると民主主義がしっかりと機能している事がわかります。Lagomの視点から考えると、スウェーデンは資本主義と社会主義の両方をバランスよく持ち備えた社会です。例えば、福祉制度です。この制度は、税金によって運営されています。所得税は約60%です。これは、とても高く聞こえますが実際そのうちの約33%は企業負担の社会保険料です。その為、ほとんどの国民はその半分の金額の税を納めています。60%かさらに高い金額を払っているのはスウェーデンの人口の約15%です。お金を稼げば稼ぐほど半分以上もの所得を税金として納めなければならないのです。これは実に社会主義的といえます。所得税は中央政府ではなく、地方自治に納められ、約40%が医療、約30%ずつが教育と福祉に使われています。就学前教育から大学までは全て無料で、高校までは給食も無料です。さらに、学生は毎月2万円の補助金を政府からもらう事ができます。友達からこのことを聞いた時、とても驚きました。さらに、医療と福祉に関しては、18歳まで無料で受ける事ができます。日本で歯の矯正をする場合、30万から50万かかりますがスウェーデンでの子どもは無料です。その他にも、酒類やタバコは政府によって管理されています。お酒に関しては、3.5%を超えるお酒は国営の専売公社でしか購入する事ができません。最低購入年齢は20歳です。これは,私企業の酒類販売による富の蓄積の規制や未成年を含む国民の飲酒量の適正管理を目的としています。又,お酒とタバコに関する広告をテレビで放送することは禁止されています。タバコに関しては,2012年にオーストラリアが導入したpp規制をスウェーデンでも行っています。pp規制とはパッケージのデザインをシンプルにしたり健康への悪影響を訴える怖い写真を載せるなど,消費を控えるように促す規制です。知り合いが持っていたタバコのケースの写真が衝撃的でとても驚いたのを覚えています。経済最優先ではなく、富を平等に分散し国民の健康を守ろうとする国家のあり方には感服しました。国民一人ひとりの民主主義の意識によって構成された社会である事がわかります。

松明(たいまつ)を持って凍った海の上を歩くチャリティ

• 平等、人権 【違いは当たり前】

私が通っていた高校では、トイレは男女分かれていませんでした。理由を聞いてみたところ、「場所がひとつで済むから。」という答えが返ってきました。LGBTQの人たちを考慮してではなく、ただの場所の問題でした。カフェやマクドナルドなど、公共の場でも分かれていないところが多かった印象があります。この感覚はどこからきているのでしょうか。それは、「他人と自分は違う」ことが当たり前だという個人の尊重と、「違い」への寛容があるからです。ホストの両親も、家事や子供の世話はいつも2人で協力してやっていました。例え、仕事の事情であったとしてもどちらかに負担がかかってる時はお互いによく話し合い、2人でやれるように工夫していました。男女の平等に関しては、スウェーデンの議会には議員の半分は女性でないといけないという決まりがあります。産休は18カ月です。そのうちの30日は男性も取らなくてはいけません。そしてスウェーデンの平等意識は、男女に変わらず、年齢や社会的地位に対しても同様です。子どもは親の所有物ではなく、「社会的な存在」として考えられています。ホストシスターの小学校を見学させてもらった時に気づいたことは、休み時間になるとクラスや学年などは関係なくみんなで遊んでいたことです。ホストファザーの仕事について話を聞いたときには、役職に囚われることなくフラットな関係で効率よく仕事をしている企業のあり方を学びました。自分だけでは解決できない問題に直面した時に、まずは上司に連絡して対処してもらうのではなく、例え重役の方でもそれを適切に解決する事ができる人に自分から直接連絡するそうです。このフラットな関係はスウェーデンの福祉サービスの基盤です。障がい者やお年寄り、幼児や移民に対しての支援が豊富なのは、「人々は皆、障がい者である。我々はたまたま健全であるに過ぎない。」という考えが根本的にあるからです。日本はどうでしょうか。男性と女性、大人と子ども、障がい者と健全者、政治家と国民、社長と、部下など私たちは違うのが当たり前ではなく、違いを意識させられているように思います。人と関わる際、相手はこうゆう人なのだと決め付けてしまうとそれ以外の相手の側面は見えません。違いを意識するのではなく、初めから私たちは違うけれど、どう違うのか、どんな考えを持っているのか、どんな人なのかという素直な相手のありのままを受け入れることが「平等意識」の根底にあるべきだと思います。

• 自立 【自立した個人】

私が現地の高校生と交流する中で感じたことは、みんなが自立していたことです。スウェーデンでは、高校卒業後に一人暮らしを始める事が一般的です。さらに、わたしの友人の1人には一緒に暮らすなら家賃は半額負担してくれと親に言われた子もいました。18歳になると成人として社会的にみなされるようになり、親は子どもの選択に口を出す事ができません。つまり、18歳になると完全に自己責任になるのです。なぜ、早くから自立する事が大事なのでしょうか。それは、1人の個人として社会の中で生きてゆくという精神を育てるためです。国民が、「親に言われたからやる」というような、確かな個人を持つ事なく消極的、受動的に生きていては様々な個人が参加して運営する民主国家は機能しません。真の民主国家には自立した個人が必要不可欠です。アメリカ人の奴隷廃止運動家ウェンデル・フィリップスは「人民の自由という天の恵みは毎日採取しなければならず、さもなくばすぐに腐敗する。」と言いました。個人の権利は国民一人一人が日々努力して獲得していなければ機能しなくなってしまうのです。しかし、若い頃から自立していきていくには金銭的なサポートが必要です。それを可能にしているのがスウェーデンの福祉システムなのです。大学の授業費は無料で、若者が気軽にくめるような金利の低い学生ローンなどがあります。又、高校を卒業後に就職する選択をする人も多くいます。一度就職しても、後で大学に入りなおそうと思ったときには国の支援を受ける事ができます。精神的な自立を求めるだけではなく、社会的なシステムをつくり個人が自立して社会の中で生活を営めるような体制がスウェーデンにはあるのです。

• 教育  【生涯教育】

私が現地の学校で実際に学ぶことを通して思ったことは、学びのスタイルが自由であることです。スウェーデンでは、国としての教育目標はありますが、その実施方法は教育現場の裁量に委ねられています。つまり、教師がどのようなスタイルで授業をするのかを自由に決める事ができるのです。従来の学校教育と現地の学校教育の違いをジグソーパズルを例に用いて以下のイラストに表しました。

従来の日本の教育スタイル

スウェーデンでの授業スタイル

現地の学校には開かれた空間があり、明るくて気持ちの良い雰囲気でした。

日本の教育や従来の伝統的な教育制度では、何かを教えるときに「これはこうゆうものです」と定義されたものを生徒が先生から受け取る形です。一方、スウェーデンでは定義付けは生徒に任されます。上のイラストが示すようにパズルが課題だとすると、日本型の教育では先生が組み立て方も最終的な形も生徒に教えます。スウェーデン型では、先生はパズルを生徒に持ってくるだけで、組み立て方や最終的な形さえも生徒の自主性の合わせます。実際に、私のとっていた授業を例に説明します。例えば、宗教の授業では「宗教とアイデンティティー」という広域なトピックと1冊の本が与えられます。最初の数回の授業では、与えられた本やムスリムの女性のヒジャブの関する西洋的な見方や女性本人らの意見、子どもの信仰の自由と親の教育の自由などの新聞記事を読み、予備知識を蓄えます。その数回の授業を受けたあとは、約2週間の期間のを与えられ、その中で予備知識を発展させて自らそのテーマに関する理解を深めてエッセイにまとめます。知識の収集は本を読んだり、新聞を読んだり、映画を見たりして、生徒が自ら様々なソースから自由に学ぶ事ができます。成績は、最終的に出来上がったエッセイと授業態度でつけられます。さらに、各教科でエッセイを書く際には最低5つの視点を考慮するように指導されました。例えば、政治面、経済面、社会面、歴史面、宗教面などです。最初は自由すぎて戸惑いましたが、一つ一つの課題に対して多面的に見られるようになり、学びが一層面白くなりました。英語の授業では、文法や単語を学んだりもしましたがそのような授業は附属的で、主にブッククラブやプレゼンテーション、論文作成を行いました。非常に興味深かったことは、「ツールとしての英語を習得する」だけではなく「英語という文化を学ぶ」ことでした。英語がどのように世界の共通言語になったのかという歴史、ポストコロニアリズムについて、英語の文学作品についてを言語学的な視点から分析しました。私が現地で受けた英語教育を一言で表すならば、「英語が世界に与える影響」を学びました。英語はただのツールだけではなく、現在のグローバル社会を読み解く為の物差しにもなるのです。スウェーデンの人たちにとって英語は、スウェーデン語と同等の第一言語レベルです。小さい頃から英語の本や映画、YouTubeなどに触れ英語を話す事が当たり前だそうです。ツールとしての英語は日常生活の中で自然に身につけているのです。そのため授業は大変ハイスタンダードで、ついていくのが大変でしたが一生懸命自分なりに努力しました。このような学習スタイルでは、教師と生徒の関係が日本とは異なります。先生は生徒の学習をサポートする相談相手です。クラスメイトも、先生たちのことを「友達」や「両親」のような関係だと言っていました。エッセイを作成中に行き詰まってしまった時や、なかなか良い参考文献が見つけられない時などに先生にアドバイスやお勧めの文献を教えてもらいました。先生方も一人ひとりの生徒に寄り添い、それぞれの生徒がその子なりに学びを深める事ができるように指導してくれます。以上の、現地の高校での学びを通して学んだことは、スウェーデンの教育は「生涯教育」を基盤に置いているということです。教師が一方的に知識を与えるのではなく、自由な教育環境の中で生徒は一生、自ら学んでゆけるような「学び方」を身につけるのです。また、教育における「平等」は、全ての生徒が同じ量、内容の知識を得ることではありません。それぞれの個性に合わせて学ぶ事で、最終的に目標に達する事ができるように平等なサポートをすることこそ大切なのではないでしょうか。

凍った海でアイススケート

• 環境 【環境先進国】

私がスウェーデンを留学先に決めた理由に一つに、「自然享受権」という慣習法があります。これは、誰もが自由に自然を楽しむ権利を保障する法です。例え、私有地であってもそこの自然を破壊しないかぎり、自由にキャンプををしたり、焚き火をしたり、ベリーを摘んだりする事が法律で保障されているのです。これには、自然を愛するスウェーデン人の国民性が表れているように思います。又、スウェーデンは自然と未来の世代を犠牲にする事なく、持続可能な社会をつくるために環境裁判所という環境破壊行動に対して許認権のある独立した裁判所があります。これは、環境法典という16の環境保護目標と気候変動対策に基づいています。スウェーデンの環境保全運動家は「私たちは地球を所有していない」と主張しています。経済活動のために、自然を利用し、森林破壊や温室効果ガスの排出などを軽視するのではなく、環境被害を最小限に抑えるという意識はこれからますます重要になります。このようなスウェーデンの人たちの環境問題に対する意識の高さは、幼い頃から豊かな大自然の中で遊ぶことを通して培われています。年中、自然を存分に楽しむ事ができる機会が豊富にあります。秋にはきのこを摘みにいき、冬には北欧ならではのカントリースキーや凍った湖の上でスケートを楽しんだり、春には野苺やブルーベリーが採れます。夏になると、サマーハウスと呼ばれる湖のほとりや森の中にある別荘に休暇を満喫しにいきます。北欧には湖と小さな島が多くあり、ボートで旅に出かける事ができます。人々が気軽にアウトドアアクティビティを楽しめるように、綺麗に設備された無料の宿泊施設やバーベキュースペース、スキーコースやハイキングコースが充実しています。友人と遊ぶときは、ウインナーやパンを持ち寄ってグリルをしたり、ピクニックを楽しみました。環境問題意識については、友人やホストファミリーと過ごす中で、考えさせられる事が多くありました。私のホストファミリーはなるべく地元の食材を買うようにしていました。これは、地域の農家をサポートするとともに、輸送にかかる無駄なエネルギーを削減するためです。又、友人にビーガンやベジタリアンの子が何人もいました。環境だけではなく、動物の倫理や大量生産、大量消費に対して問題意識を持ち実際に行動していました。リサイクルに関しても、スーパーにはデポジットシステムがあり製造者と消費者が責任を持って処理しています。エネルギーに関しては、50%以上を再生可能エネルギーによって生産しています。2045年までには100%再生可能エネルギーによる発電を目指しています。ホストファミリーも水の消費やエネルギーについての意識が高く、省エネな家電や生活習慣を日々、実践していました。自立だけではなく、自律という考え方の大切さを学びました。食料自給率は、スウェーデンはカロリーベースで90%、日本は37%でエネルギーに関してはたった8%です。コロナ禍の中で、自国第一主義の流れが強まっているのを見ると他国に依存する事なく、自国の自然を大切にし自立した社会をつくっていく必要があると大いに感じています。

• 終わりに

以上、私が実際に暮らす事で学んできたスウェーデン社会を5つの項目から紹介しました。結論として再度主張したいことは、何に対しても人々が幸せで豊かな生活を送る事ができるようなバランスの良い生活が重要だということです。政治から教育、国際問題など様々な仕組みの根底にあるべき私たちのあり方は、当事者意識を持ち変化を起こしてゆこうとする意志を持つことです。そのためには、必要な知識を一方的に流し込むやり方ではうまくいきません。様々な問題が混在する中では多種多様な考えを持った個人が必要です。そうしたクリエイティブな個人を確立させるには、個人の創造性を尊重する事ができる時間と機会が必要です。あえて、日常の中に「空白の時間」をつくることで一人ひとりの人がその時間を有効に使い、最終的に社会に生かす事ができるでしょう。そして、その為のサポートをするのが教育であり、社会福祉であると考えます。又、個人の創造性を生かすには、それを生かす事ができるような機会が必要です。例えば、政治に関しては、若者が実際の政治に興味を持ち積極に関わっていく事ができるような機会が必要なのです。この機会によって、多様な考えを持つもの同士がつながり実際の社会に生かす事が可能になります。私は、今後の活動として若者の政治参加を支援できるような活動に関わってゆき、高校生活3年間の私の研究テーマであった「地球市民」としての在り方を推進していきたいです。又、インターンシップなどを通して実際の社会で働く方々との関わりを通して日本社会、又は国際社会を学び、変化を起こしていけるような活動をしてゆく予定です。来年の4月から日本の大学に進学するので、持続可能な社会をつくるために必要な知識を学びたいと考えています。現地で交流する中で、日本には日本なりの良さがある事が分かりました。日本の食文化や伝統、礼儀の正しさ、めったに遅れることのない交通機関、コンビニエンスストアなどの便利さは日本の誇りです。日本独自の良さを存分に生かしながらも、一人ひとりが幸せな生活をくれる社会を模索してゆきたいです。この10ヶ月の機会を与えてくださった、支えてくださった全ての人へ恩返しとして、これからの人生で今回学んできたことを社会にいかしてゆきたい、そう思っています。     ちーちゃんこと、 戸髙 千慧

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