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【対談(3)】一瞬の無限 〜いまここにある「いのち」〜

昭和育英会理事長の山藤氏と「検査と技術」(医学書院)誌上にて三回に渡って対話をさせていただきました。

〔本連載の形式〕各界で著名な先生方への山藤先生のインタビュー(対談)にて,組織で働くこと,チーム内でのコミュニケーション,教育,臨床検査技師としての知識・技術の継承と向上,患者さんの心・命,自分の人生の役割などについてお話いただきます。対談のなかで,山藤先生が感じた医療とのつながりの部分を,心の「共振」ポイントとして解説を加えていただきます。

<出典> 原文はこちらよりご覧ください。
対談1回目 検査と技術44巻11号(2016年10月)「連載 人の心に寄り添う医療人になる・10」
対談2回目 検査と技術44巻12号(2016年11月)「連載 人の心に寄り添う医療人になる・11」
対談3回目 検査と技術44巻13号(2016年10月)「連載 人の心に寄り添う医療人になる・12」

対談者プロフィール

戸高雅史(とだかまさふみ)氏プロフィール
1961 年,大分県生まれ。登山家.野外学校FOS 代表。佐伯鶴城高校卒,福岡教育大学,同大学院修了。現在,昭和医療技術専門学校特任教授。1996 年,オペル冒険大賞受賞。著書に『A LINE(ソニー企業発行,共著)』,『はじめよう親子登山(山と渓谷社)』。18 歳で登山を始め,23 歳からヒマラヤの世界へ。山との融合を求め,無酸素や単独のシンプルなスタイルで高峰へ登り続ける。36 歳の時,K2 峰に単独無酸素登頂。1998 年,チョモランマ峰北西壁へひとり向かい,8,500 m に到達。そこで,すべてのいのちのつながりの中にこそ,生きるべき世界があると直感。以後,自然と人との触れ合いから生まれる「いのちへの共感」をテーマに,富士山麓と葉山(神奈川県)を拠点として,自然体験活動の指導や講演,ガイドなどを全国で行っている。

山藤賢(さんどうまさる)氏プロフィール
1972 年東京都生まれ.昭和大学医学部,同大学院医学研究科外科系整形外科学修了。医学博士。小学校から高校までは私立暁星学園サッカー部で活躍。東京都大会で優勝した他,全国大会にも出場した。現在は臨床検査技師教育に特化している昭和医療技術専門学校の学校長として学生の育成にかかわる傍ら,現役の臨床医として患者とも向き合う。医療法人社団昭和育英会理事長,横浜つづきメディカルグループ代表として医療機関を複数経営。日本臨床検査学教育協議会においては,副理事長を務め,2014 年には学会長の任も務めた。また,なでしこジャパンのチームドクター(オリンピック,ワールドカップなど帯同),東京都サッカー協会医事委員長(現)を務めるなど,スポーツドクターとしても活躍している。また,2013 年の著書「社会人になるということ」(幻冬舎刊)は,丸善日本橋本店にて,週間ランキング1 位(ビジネス部門)になるなど,その活躍は,医療界にとどまらず,広いフィールドで注目されている。

「死」の捉え方

編集室:

「いのち」「生きる」そのようなキーワードの話になってきました。率直になりますが,戸高先生にとって,死とはどのようなものですか?

戸高:

好き好んで限りなく死のにおいがするところに身を置いて,逆に生を,いのちを実感したり,自分のいのちを輝かせてきたので,普通の方とはかなり考え方,感じ方が違うかもしれないですね(笑)。限りなく死の近くに行くんですけど,でも死のことは全然わからないし,とことん避けたいし,怖いんですね。でも,この怖さがなくなることが,一番怖いと思うんです。怖さがあるからこそ,生きようとする感覚と反応が生まれるのかと思うんですよね。決して死を恐れない,というようにはなりたくないです。

さんちゃんも参加された,先日の,ホスピス医の内藤いづみ先生との講演は,あらためてそのことを考える機会になりました。“僕だったら,最後の瞬間まで生きようとするかなぁ。その最後の瞬間は,滝の前などで,1 人で焚き火をしながら迎えるかもしれないなぁ”(笑)とか考えました。なんかそうやって,自然の大きな働きの中に,自分のいのちがすうーっと帰っていくイメージが浮かんできましたね。

編集室:

死とは,私も,自分の故郷の海の音を聞きながら,海に帰っていく感じなのかなぁと思ったりするんです。やはり怖いですが,いのちが自然に帰っていくと考えると,少しは心が安らぐのかなぁ,などとも思います。山藤先生,医師の立場としてはいかがですか。

山藤:

人それぞれの見解や解釈もあると思いますし,宗教的な価値観もあるかもしれませんので,お答えするのは難しい話ですが,あくまでも僕の私見としてお話しますね。僕はある年齢を超えてから感じたんですが,人の生き方を決めるのに,死生観ってあると思うんです。若い頃,それこそ学生時代なんて,自分が死ぬとか想像しなかったですし,“でも,いつか死ぬだろうな”とか,“いつ死んでもいいや”とか,いろんなことを思いました。でもそれって,生き方が定まっていない感じがするんです。

僕は医師なので,当然いのちにかかわる仕事をしているわけですが,外科系なので,救命救急の現場にいることなども多かったんです。例えば,心肺停止した若い男の子が,バイク事故などで運ばれてくる。そして,ご家族が来る。

「今日の朝,あんなに元気に出て行ったのに,どうしてこんなことになっちゃうんですか」と言って,死を受け入れられないご家族が泣き叫んでいるんです。たぶんこの子も,バイク事故で死ぬ瞬間まで,その日死ぬとは思っていないと思うんですよね。でも,亡くなるじゃないですか。親も,僕も,なんでこの子が死ななきゃいけなかったのかわからない。で,すごくシンプルに,“バイクで亡くなる方多いなぁ”と思うから,僕,バイクに乗らないんです。それは僕の,もしかしたら死生観の一つなんだけど,もう一つ,“あぁ,人間って,今日死ぬんだな”って思ったんです。先ほどのホスピス,そしていま,まささんがお話をされていたような死生観は,死ぬ時間がなんとなく定まった人たちにとっての死の迎え方ですよね?でも,実は何も用意していなくても,人は亡くなるんじゃないかと思うんです。日常に,死があふれている感じがすごくしているんですよ。だから僕は,20 代中盤,後半ぐらいに,“明日,死んでもいいような生き方しなきゃな”って思ったんです。それがいまも,毎日ピリピリとできているかといったらそんなことはなくて,もうちょっとゆっくり,いろいろと感じ方が変わってきたけれど,1 回,僕の生き方を定めた死生観に,明日はないっていうか今日もない,というのがあるんですね。だから,“この瞬間,一生懸命やっておかないと,いつ何があるかわからないから,後悔しないように生きよう”と思ったことがあるんです。

もう一つ思ったのは,なんで死ななきゃいけなかったのかわからないし,無念かもしれないけど,家族は悲しんでいるということです。僕が担当していて,亡くなるおじいちゃんのそばに来たお孫さんが,親御さんに「さようならを言いなさい」と言われて,「さようなら」って言っているのを横で聞いていたら,僕も含めて誰もがすっと涙が流れるし,誰かが亡くなると誰か悲しむんだなぁ,と。いのちも死も,自分のものなんだけど,なぜか自分のものだけじゃないという,何か不思議な感覚があります。僕はやはり,人間って,本質的に死んじゃダメな生き物だと思うんですよ。だから,自分のいのちを絶つなんて,どんなことがあってもダメだと思うし,自分の身体を傷つけないようにと,学生に伝えているんです。

そして僕は,死は怖いことだけど覚悟はしているし,それを見ているから受け入れてもいるし,いつか突然死ぬっていう可能性もあるし,そんなに強い恐れと怯えでは生きていないけれど,ただ,生きなきゃいけないな,っていう強い思いを持っています。だから,死生観をなんとなく持っていると,生き方も考えるような気がするんです。僕が昭和医療技術専門学校で担当している生命の倫理という授業は,死についてとことん皆で話し合うものですが,それは暗い授業でも,死ぬことを考えている授業でもなくて,最後に生きることを考える授業なんですね。学生たちも,この授業を受けた感想文にそう書いています。

ちょっとだけ現代社会が怖いなと思うのは,死から人が遠ざかっているじゃないですか。身近で人が亡くなることはないでしょ?人はほとんどの場合病院で亡くなるので。まささんは,死に一番近い世界に,1人でいたじゃないですか?でも,最近の世の中の人たちのほとんどは,死に近いところに踏み入れていない。まささんの野外学校FOS が主催されているような,テントがなく,寝袋だけで寝るキャンプのほうが,実は死に近いかもしれません。街中にいるより,自然の中のほうが,感じ方が死に近いから。そして,死に近くないと,生も近くない気がするんです。死に近いところにいたり,それを体感したりしていると,生きるということに対する強さも一緒に生まれる気がするので。すみません,このような話はちょっと難しいでしょうか?ただ,死に対して遠いと,生きる強さも弱い,そういう若者と文化が増えてきているかもしれないという怖さはあります。まささん,どうですか?

戸高:

僕,そこ,すごく同感ですね。東日本大震災から先日の熊本大震災まで,自然災害がいま,頻発する時代に入ってきていますよね。そういう日常の中で,死が,向こうのほうからやってくるんです。交通事故に遭わなくても,です。どんなに文明の力を使っても,それから逃げることは不可能でしょう。ですから,否応なく,僕らはそれを実感して,日常への向き合い方を問われる時代にいま入ってきていると思うんですね。だから,それをいいほうに捉えたほうがいいと思うんです。そういう意味で,さんちゃんのいま言われたように,死をしっかり見つめて,そこから生を見つめるということ,大変だ,大変だ,じゃなくて,生きているということはそういうことなんだというところに皆が立ち切る方向に向かえば,そういう可能性が生まれてくるかなと思うんですよね。

「生きる」の捉え方

編集室:

山藤先生,皆,死から遠ざかっているとおっしゃいましたが,どうしたら死を身近なものだと捉えて,生きる力をつけることができるでしょうか。

山藤:

小,中,高校の授業で,死について考えるとか,自分の感覚として感じてみる機会って,あまりないじゃないですか。僕は,例えば,先ほど話した昭和医療技術専門学校での「生命の倫理」の授業の初回に,必ず学生同士のペアでシミュレーションをするんです。

心電図の検査をする,カーテンが閉まる,患者さんと2人,他に誰もいない。その患者さんから,「“私はがんで,私のいのちはあと半年って言われたんですけど,なんで私が死ななきゃいけないんですかねぇ?”って聞かれました。新人のあなたはなんて答えますか?」って。こういうこと,あるかもしれないでしょう?でも,誰もそんなこと,考えたことがないですよね?自分が死ぬとか人が死ぬとか。身内が亡くなって悲しいと思っているかもしれないけど,“じゃあ,それはどういうことなんだろう”っていうのは考えたことがないから,答えられない。励ましてみた,なんか違う。冗談を言ってみた,なんか違う。なんて言ったらいいかわからない。じゃあ,いろんなことを学ぼうと。

それは学問的なことを学ぶのではなく,感じたことを教室でシェアしていくことによって,自分のいのち,自分の魂がなんなんだろうということを考えるきっかけを作るようなものです。死は誰にでも訪れるのに,「死ぬこと=悲しくてつらい,悪いこと」みたいな形で遠ざけているので,1 回,もうちょっと手元に引き寄せて,良い悪いではなくて,自分自身の魂に沿って感じて考えるみたいなことを,機会として与えていくといいかなぁ,と思います。学校の授業でこうしたことをやっていくのは,一つ,あるかなと思いますね。

それからもう一つ,まささんのような活動をしているところで,自然の中に身を置き,自分は生きている,大地とつながっている,空や宇宙とつながっているという感覚を感じてみることです。自然の世界はすばらしい場所ではあるけれど,生と死がすぐ表と裏にあるんですね。マンションの1室で,四角い壁に囲まれていて安全だということと真逆の感覚です。なんかこう,自分の足で大地に立っているような,人間本来の感覚を持っていることを感じる機会は大事なことかなぁと思います。ただ,それを与えるというのは,なかなか難しい,僕にはできないことですが,まささんのやられていることはそういうことかなぁと思っています。まささん、どうでしょう?

写真1 郷里,大分の山にて(撮影:戸高雅史氏)

戸高:

いま,さんちゃんに言われたことでいえば,さんちゃんとは毎年行っている場所ですけど,例えばこの写真(ご自宅壁に貼ってあった写真を指差して:写真1 のようなイメージの場所です),冒険トレック2016 春のものなんですが,参加した子どもたちは最初に皆,“こんなところで寝るの?”って思ったみたいなんです。テントも何もないところだったので。しかし実際,そこにシートを引いて,寝袋だけでゴロンと横になって上を見上げたら,緑の葉っぱが見えて,それから,水の沢の音が響いてきて,鳥のさえずりが聞こえてきて,“あぁ,何か包まれている”っていう感覚になったそうなんですね。

で,夜は,ライトを消せば,都会ではない,本当に闇の世界ですよね。もしかすると,死ともちょっと共通するかもしれませんが,本当の闇を体験する機会も,都会の子どもたちには少なくなってきていますよね。そういう意味でいえば,人間っていうのは,1 日の中にもなるべくこう,ニュアンス的に,1 回死んでまた生まれ変わるぐらいのメリハリがあってもおかしくないのかもしれないですね。こういう夜を過ごすことって,なかなか少なくなってきていると思うんですよ。ですから,日常の中に,いまさんちゃんの言われた,人間本来の感覚っていうものを持つことが,なかなか難しくなっているんじゃないですかね。そういう感覚をちゃんと持って,そこで死とも向き合っていくと,変に死だけが一人歩きをしないような気がしているんです。死をイメージや想像でどんどん練り上げていくと,本来の感覚のところからずれていきますが,時計がないところで生活すれば,日が沈んで,また鳥たちがさえずり出して,空が白んで明るくなって,っていうリズムが感じられますよね。やはり,そういうところに身を置くことで,見えてくる世界っていうものもあるような気がしますね。昔の人たちにとって死というのは,本来のリズムというか,その中にあって,“あぁ,亡くなっていった”という,周りとの一体感の中で,その人の一つの何かが終わっていくというものだったのかなぁと思います。いまはなんだかそこだけが,特別にクローズアップされている気がします。

僕のヒマラヤ体験というのは確かに,異端だと思うんです。僕は,実際にヒマラヤに登っているときに,人が落ちて亡くなっていくシーンを目にしているんです。彼が亡くなる瞬間の声も聞こえてきました。他のチームの人でしたが,それを見て,上に行くのを止めた仲間もいましたね。でも僕は,ダメージを受けずにすぅっと心に収めました。あのときは,そういう世界にいるんだと,もしかしたらある意味戦場と同じようなものだと思っていたのかもしれませんが,僕の当時の日常の中にこう,そういう瞬間がいくつかあったんですね。これは極端な例だとは思いますけど,いま,一般的には,病院や施設で人が亡くなることが多いのでしょうか?自分の身内の人が亡くなるのは,順調にいけばおじいちゃん,おばあちゃんを見送ることから,まぁ,始まるっていう言い方は変ですけどね,自然に体験できれば,それが大きな機会にはなるんでしょうけどね。

山藤:

本当はそうでしょうね。

戸高:

昔は僕もおじいちゃんを,間に合わなかったので,亡くなったところに駆けつけた感じですが,やはり身内の人が亡くなる機会って大きいですよね。

いのちのつながり「共振」の世界

山藤:

いのちの話をもう少し聞いていいですか?まず,自分のいのちがありますが,まささんが一緒に登山されていた方のいのちについてお話をされたように,他の人のいのちというものもあります。僕は,自分のいのちと他の人のいのちはつながりがあるような気がしていますが,自分のいのちと他の人のいのち,そのかかわりについて,まささんはどうお考えでしょうか。

戸高:

ヒマラヤの中で1人,とは言いながら,周りにはやはり他の存在,自然があります。そこには必ず,常に共振というものが(共感だとちょっと人間寄りだと思うんですけど)生まれていく,その共振に意味があると感じるんです。ですから,他者の存在というのは,実はすごく大事です。例えばスポーツの世界でいえば,格闘技なんかはまさしく,他者がいて,なおかつ自分と同等か,自分を超えるような他者と面したときに,自分のもう1ランク上の潜在能力が引き出されたりします。陸上競技でもやはり,個人競技とはいいながらも他者がいりますよね。

僕はヒマラヤで単独無酸素登頂に挑んできましたが,必ずしも自然や単独にこだわっているわけではなく,自然であれ,他者であれ,それ(その人)があって,そこで生まれる何かが,とても大事だと感じているんです。さんちゃんともよく話しますが,共振というのはその一瞬なんですね。そこに,想像を超える何かが,ギフトのように訪れるものでもあったりするんです。インスピレーションともいえるし,それは,僕のものでも,そのときともにいた誰かのものでもなく,その場自体にやってきてくれた尊いギフトのような気がします。具体例を挙げれば,福島の子どもたちと昭和医療技術専門学校の皆さんと,富士山の5 合目で朝を迎えると,不思議とすばらしいご来光が見られるんです(対談タイトルバックの写真)。これは作れるものじゃないですよね。そういうものに触れることで,何かとても大きな働きの中にあることを感じますし,同時に,その大きな働きへの信頼感みたいなものが生まれてくるんです。

山藤:

まささんは,いま,一瞬のところで,共振する存在と一緒に共振するというお話をされました。僕はいまピンときたんですが,まず自分が振るえないと共振ってしないですよね?誰も何もしなかったら振動が伝わらないので,最初に振るえる何かがあるじゃないですか?その誰か,っていうのが,その場におけるまささんなんじゃないかと。だから,最初にちゃんとこう,まささんが振るえているんですよね。発信するってことですね。まささんが発信するから,周りが共振するわけですよね?その発信する存在がないと,その場も作れないですよね?いまふと,そう感じました。

戸高:

すごいですね!(笑)。僕も,その辺は感じるものがあります。僕が大事にしていることは,その発信する,もう一つ前の段階です。物事がこう行けば(二次関数,y=x2のグラフのように,いったん,ゼロの位置に向かう),自ずと何かが生まれるという気がするんです。ゼロの位置,ニュートラルになろうと思ってもなかなか行けないんですけど。自ずと始まる世界が,大きな自然の,自ずから然らしむという大きな働きと同調するというか,そのタイミングが合うんですね。それが少し早まったり,意図的であったりしたら,ちょっと違うものになってしまいますね。

写真2 ゼロの体感…宇宙のリズムのなかに
チョモランマ峰北西壁ベースキャンプ (5,600 m)にて(撮影:戸高雅史氏)

「今」ここから始まる「冒険」

山藤:

人はよく,それぞれ役割があるとか,何かを背負って生きているといわれるじゃないですか。いまのまささんのポジションとかは,まささんにとっての役割だと感じることがありますか?

戸高:

ありますね。いまこの歳になって,僕はこうした役割を持って生まれてきたんだろうなぁと感じています。普通の登山家といわれる人たちとは,いま,全く違う世界を見ていると思いますし,僕が言うのも何ですが,いまの世の中で,僕のような役割を実感していて,なおかつその役割を担っている方というのは,もしかしたらあまりおられないかもしれません。だから,ヒマラヤに登って,日本の自然に共振して,いろんな方と出会ってという,僕がこれまで歩んできた人生があっての,いまの僕の立ち位置がたぶんここなんだろうな,というのは感じますね。

山藤:

それは,チョモランマで受けた,いわゆる啓示みたいな言葉や世界観とつながっていると思うんですけど,普通の人は,ある意味,自分がこの世にいる役割みたいなものを感じるにはどうしたらいいでしょうか。

戸高:

自分の意図で,いろんな目的に向かって行く時期もあります。でも,ある時期に,大きな働き,自ら然らしむ働きに触れ合ったとき,それを実感したときに,もう一つの世界が始まると思うんです。そうすると,その力,そのリズムと同調する感じで,すっと,その人の本来の役割に向かって行きますね。いま,自分が感じることを全身全霊で大切にしていけば,自ずとその人の道が拓けると思います。だから,やはり,いま,ここに立つ自分の感覚を大事にすることに尽きるような気がします。

山藤:この対談のタイトルは,いつもまささんが使っている言葉で,「一瞬の無限 〜いまここにある「いのち」〜」です。いま,まささんがおっしゃったことは,そこにつながる感じですか?

戸高:

はい.やはり,一人一人の存在というのは,いま,からしか始まらないし,いま,でしかないです。

山藤:

まささんがいま言っているお話,僕は感覚的によくわかります。ただ,あえて普通の感覚でそういうふうに思ったことがない人のために,「“偉大なるもの”ではないですけど,何かの役割とか,何かそこに起きることに出合うタイミングはいろいろあるかもしれないですけど,それに出合い,それを受け止めるために,そこに行くためにはどうしたらいいんでしょう」という質問を,実は僕,まささんにしようと思っていたんです。で,いま,僕自身も考えてみて,わかりやすい言葉で言ったら,それは「冒険」じゃないかとふと思ったんです。何かに阻まれている感覚のまま,ずっと逃げ出したり,やらないままでいると得られないので,冒険してほしいとか,挑戦してほしいっていう気持ちを抱いたんですけど,どうですかね?

戸高:

素晴らしいです。一番わかりやすい言葉ですね。

いまここにあるいのちを,一般の方がわかりやすく実感するには,僕は五感かなぁと思ったんです。ちゃんと舌で触れる味覚,聞こえる音,手に触れる吹く風,頬に当たる風によって,いまここにあるというのを実感する。でもこれは,わかりやすいようでいて,いろんなものが付随してきやすいんです。日常の中でのいろんな思いも含めて,本当はそこに立てたらいいんですけど,やはり1回,日常のもろもろを,ふぅ〜っと脱ぎ捨てたほうが,すっとそのスイッチが入りやすいですね。旅で,特に文化や言葉の違うところに行くという方法もあると思うんですけど,これも大枠でいけば冒険ですね。いままでの自分のいろんなものを1回脱ぎ捨てるためには,やはりアクションが必要なんですよね。冒険という言葉が一番わかりやすいと思います。

山藤:

よかったです(笑)。その部分,まささんと共感できていてホッとしています。僕がこの連載(対談)をしていて,まさに若い読者に伝えたいことは,「冒険」するのが大事ということなんだなと自覚することができました。

野外学校 FOS(Feel Our Soul)の役割

山藤:

最後になりますが,野外学校FOS は,まさにこうした役割を担っていると思うんです。冒険するための場をまささんが作っている。そこに来てもらうと,五感が開く。そんな場所です。その野外学校FOS は,最近たくさんのメディアに取り上げられています。NHK の有名な番組「助けて!きわめびと」でも,まささんは2週にわたって活躍されていました。これはすごいことです。読者の方々にも,ぜひ,FOS の世界観を味わってもらいたいなぁと思うんですが,その魅力は,どのような入口で届けられるのがいいんでしょうね。

戸高:

子どものプログラムももちろんいいんですが,ファミリーはとてもいいですよ。「子どもが」ではなく,意外とその場で大人が感じることも大事だったりします。

山藤:

あ〜,そうそう!

戸高:

そういう子どもを見ている親が,すごく刺激を受けて変わるんです。子どもだけがいろんな刺激を受けて,でも日常に帰るとそこに変わらぬ親や環境があって,ということよりは,家族で新しくまた何かが始まるという機会になると,素晴らしいなぁと思うんです。子どもにとっても,そのファミリーの皆さんにとっても,こんなに素晴らしい一歩はないですね。それをいま,すごく感じます。

山藤:

僕も,一人でも,ファミリーでも参加していますが,親と子どもで,一生忘れられない,かけがえのない体験が得られると感じます。また,福島こども富士山プロジェクトでもそうですが,子どもたちと,それを取り巻く大人や学生たちもいるわけじゃないですか。そこは家族ということではなくて,他人であっても,同じ時間を共有している大人と子どもの関係性でもあり,FOS のプログラムは,大人個人での参加もご夫婦での参加も,みんなファミリーで,いろいろな気付きはありますよね。

写真3 ひかりにふれて 屋久島奥岳の森にて (撮影:戸高雅史氏)

戸高:

現実の世の中,甘くはないので,子どもだけで持ち帰っても,却って苦しかったりするじゃないですか?

編集室:

確かにそうですね。

山藤:

そのような意味でも,まささんの言うように,大人に感じてほしいという意味で,大人の単独のプログラムもすごくいいですよね。

戸高:

あと,僕は学校プログラムがとても好きなんです。学校プログラムの場合には,先生と子どもたちですね。

山藤:

いいですね!

戸高:

学校自体が新しく,空気感が変わる可能性を秘めていると思うんです。先生には,「指導者ではなくて,一緒に参加者というスタンスで体験してください」ってお願いするんです。そこで役割を持っちゃうともったいないので。

山藤:

その通りですね。私共の学校でも毎年お世話になっていますが,教員も学生も一緒になって,全員で笑って泣いて冒険していますよね。そして,その場には何か「凛とした空気」のようなものを,そして「何かの存在」を感じるような気がします。そこに奇跡の一瞬がいつも訪れます。いま,まささんのお話を聞いていて思いましたが,FOS がいうファミリーっていうのは,広い概念ですよね。子ども,大人,一人一人の参加者も学校プログラムも,全てがFOS にとってのファミリーですね。全てがつながりと共振ですね。

戸高:

まさにそうですね.

山藤:

その共振の源がまささんであるところが,野外学校FOS の魅力と素晴らしさではないでしょうか。冒険の物語,そしていのちの話から現代教育の話まで,本日は長い時間,本当にありがとうございました。医療に携わる読者の方々にも,普段とは違ったアプローチで,「いのち」「ひと」「こころ」「しぜん」という大事なことをあらためて考えるいい機会になったと思います。

戸高:

こちらこそ,有意義な時間を本当にありがとうございました。

編集室:

お2人ともありがとうございました。(了)

写真 4 本年度(2016 年 10 月 9 日)福島こど も富士山プロジェクトにて 夕焼けに 染まる紅富士をバックに(左:戸高氏, 右:山藤先生)(撮影:香取尚美 教員)

対談を終えて
3号にわたる今回の対談,いかがだったでしょうか。この「現実の世の中」と,「自然界やこの世にはあらざる世界」をつなぐ役割の存在は,昔から神話などで「トリックスター」と呼ばれているそうです。妖精のような存在ですね。私は,まささんを現代のトリックスターではないかと思っています。それがまささんの壮大な体験から来るものなのか,まささんの役割として発しているものなのか,それはわかりませんが・・・,山や森,水辺で一緒の時間を過ごし,炎を囲み,まささんの奏でる音色を聴くたびに,そこに悠久の時の流れを感じ,また日常とは違う物語が始まるのを感じるのです。最後の号では,まささんの話に共振して,私自身も自分の「いのち」に関しての考えなども少し長くお話させていただきました。なので,あえて本号では医療に関する共振のポイントを途中では入れておりません。まささんと私との対話は,あくまでも私見であり,一般的な概念の話とは少し違うかもしれません。しかし,そこで皆さんがそれぞれ今どう『感じるか』が大事かと思っております。私たちも,人とつながるために,人の心に寄り添うために,自分のあり方として,自ら何かを発信することができる医療人を目指せるといいですね。今回の「対話」を通した皆さんとの「共振」の時間,最後までお付き合いいただきありがとうございました。しかし,あらためて思いますが・・・。「戸高雅史」ホントに凄い人だなぁ〜(笑)(山藤)

Feel Our Soul People

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