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【Masa’s VOICE】真なるものへ② 神宮寺報山河より

FOS  戸高雅史がこれまでに紙面、雑誌等で伝えてきた言葉をご紹介していきます。

今回は、臨済宗妙心寺派神宮寺の寺報に掲載された想いをご紹介します。

真なるものへ②       戸高雅史

飛騨山脈、通称北アルプス南部の代表的な山といえば、多くの方が槍が岳や穂高岳を思うことでしょう。松本平にある神宮寺からは、どちらも常念山脈に遮られて直接には望めないかもしれません。日本で3番目に高い標高3,190mの穂高岳と5番目の標高3,180mの槍が岳。私が初めてこの二山に登ったのは大学二年の19歳の夏。「孤高のひと」の舞台ともなった北アルプスへの強い憧れ。まだ二年生で計画を組めない私の「思い」に探検部の仲間たちが呼応してくれ、正式な部の合宿として蝶ヶ岳から馬蹄型に槍ヶ岳を越えて西穂高岳までの縦走をしました。そのとき、蝶が岳で目にした槍穂連峰の圧倒的な連なりは、私のこころに深く響きました。
時を経て37年後の今年の10月、次女、妻の優美、友人の息子さん親子と蝶が岳へ登り、槍穂連峰を眺めながら歩きました。

長女は小学校6年生から穂高岳や槍が岳に登っていますが、現在中2の次女にとっては初めての槍穂高連峰への登山。快晴の空の下、槍が岳から穂高岳へと連なる山岳風景を堪能。私の19歳の頃の体験と重ね合わせ、次女の北アルプスの山の世界との出会いからどんな物語が紡がれてゆくのか、その始まりの場を、彼女にとってきっと最適なタイミングで共に迎えられたことをうれしく感じます。僕が出会った頃と変わらぬ槍が岳のありよう。そこにいま、次の世代の子どもがふれてゆく。ひとのいのちのじかんと悠久の山のじかんの一瞬の出会い。その「縁」に感謝しつつ。

11月末、プライベートガイドのコースで初冬の槍が岳へ。上高地はすでに冬季閉鎖されているため、アプローチしやすい飛騨側の新穂高登山口から槍平経由で山頂に向かいました。
まだ、積雪は少なく雪崩の危険はないため、夏道通り、飛騨沢を登路にとります。
朝四時半、槍平に設営したテントを出発。次第に夜が明け始め、振り返ると淡く色づいた雪山がみえてきました。抜戸岳、そして左奥にわずかに笠ヶ岳が姿をみせています。
進行方向を見上げれば、三角形の大きな山塊が。こちらからみると、槍が岳はその穂先だけでなく、おおきな大きな岩の山だと感じます。雪に覆われた道を右に左に折り返しながら高度をかせいでゆきました。午前10時過ぎ、飛騨乗越に抜けると秀麗な常念岳の姿が飛び込んできました。そこから左にひと登りで夏のにぎわいがうそのような槍ヶ岳山荘前へ。感覚的にはもう、ここでも十分に槍が岳に登った感じがします。が、やはり、目前に天を突くように立つあの穂先に登らないわけにはゆきません。
水分と行動食を摂り、ひと休み。そしてヘルメット、安全ベルトをつけて出発。
鎖や梯子は出ていますが、ところどころ固い雪が張り付いており、雪山用の滑り止めのアイゼン、ピッケルを効かせて登ります。もし、鎖や梯子がなかったら、このラストの登りは完全な登攀になり、ヨーロッパアルプスの山々のようにいまも、経験を積んだ登山者にしか立ち入れない領域だったことでしょう。
最後の梯子を登り、その穂先へと抜け出ました。誰もいない頂に、ポツンと祠が佇んでいます。祠の彼方には北鎌尾根の独標や日本海へと連なる山々がみえ、南には新雪を纏った迫力いっぱいの穂高岳が聳えています。山頂からの光景は素晴らしく、しばし憩いのひとときを過ごしました。天気はよくとも風と寒気は強く、また、下降への緊張感もあり長居はできません。下り口の梯子に向かいながら周囲の写真を撮ろうとした瞬間、目にした西方の光景。

朝の抜戸岳に覆い隠された姿と異なり、その奥に堂々と座す笠が岳の姿。
眼下には槍ヶ岳山荘がまるでチベットの僧院のように山頂台座の一角に立ち、遠近の効果を増すように笠が岳の存在を高めています。
山の魅力に惹きこまれる瞬間。
これまで幾度と目にしながら、こんなに笠ヶ岳という山を感じたことは初めてです。
槍が岳山荘は名前の通り、槍が岳の肩に立つ山荘ですが、古来からひとびとが大切にしてきた「山と向き合う場」としてとらえると、この場所は笠が岳を遥拝し、対峙する最適な場といえるかもしれません。
いまから200年ほど前、播隆上人というお坊さんが笠が岳に登られ、そこから目にした槍が岳の姿に魅せられ、開山を決意。そして案内人、中田又重郎と共に宗教的情熱に満ちた登山を重ね、三年の月日を経て登頂。頂に立ち、ご自身が再興された笠ヶ岳と対峙され、どんなことを感じられたでしょうか。

この光景を前にし、突然、播隆上人の存在が親しみとともに浮かんできました。
上人はその後、人々が安全に登れるように槍の穂先に鎖を掛けることを発念。多くの方の浄財と協力のもと、ついに鎖がかけられ、槍ヶ岳はその穂先まで含めて開かれ、今日に至ります。

ひとが山にふれ、そこに生まれる「自然とひとの共振の物語」。
私の19歳の出会い、次女のこれからの物語、そして播隆上人の決心から開いた多くの方々の体験のひとつひとつ。そのすべてをかけがえなく、尊いものだと感じます。
未来の世代にも、無限の可能性を秘めた場として山や自然がそのままにあってほしいと願わずにはいられません。
大学二年にふれた槍が岳から穂高岳へと連なる世界。私の物語はさらにヒマラヤへと続くことになります。

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