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【Yumi’s VOICE】日々の新聞 IWAKI WEEKLY REVIEW ”紙面を読んで”より

FOS  戸高優美がこれまでに紙面、雑誌等で伝えてきた言葉をご紹介していきます。

今回は、いわきBiweekly Review 日々の新聞に、紙面を読んでに掲載された想いをご紹介します。

『日々の新聞』は、いわきで今起こっていることを深く取材し、独自の切り口で伝える週刊(当初は月2回を予定)の新聞です。
「なぜ『日々の新聞』を始めるのか?」―。
それは、いわきをシンプルに見て、素のいわきを伝えたい、という思いからです。さまざまな事象には、必ず装飾や都合があります。
それをきれいさっぱり洗い流すと、物事の本質が見えてきます。素の現実が現れるのです。それがわかってしまうと、何を捨てて何を拾うかが、自然に見え始めます。
(中略)
「日々の新聞」は、平凡な日常を生きている、いわきの人々の日々や思いを大切にします。そうした人たちの日々の中での、率直で素直な「おやっ」に注目します。
そして、自分たちが暮らしているいわきのことを、一緒に考えたいと思っています。
2003年1月             『日々の新聞』編集責任者    安竜昌弘

 

【第1稿】2018年2月

 

 

震災から福島を想う人たちの声を知りたいと、日々の新聞を謹しています。

 

二十五年前から、東京の子どもを福島の豊かな自然に触れる自然体験活動を福島の仲間と共催してきたご縁で、震災からは福島. 東北の子どもたちを富士山に招待するプロジェクトを開いています。

 

秋の静かな富士山の中腹まで登り、満天の星空を眺めるテント泊。夜明け前に起きて、暗く冷たい空気のなか、登山道を四十分ほど歩き、雲海からのご来光を待つ。蒼空から朝陽が上がってくると、光は明るさと暖かさを放ちます。私たちは時に抱かれるように、朝のご来光に出会います。
そんな普遍的な瞬間を分かち合う活動です。
医療を学ぶ学生や先生、後援企業の方々にも参加を頂いて、場を共にすることを大切にしています。

 

2011年からを振り返ると、その時々にやってくる子どもの背景はひとりひとり違います。
震災当時は、大事な大事な子どもを肌身から離して遠くの保養に送り出す。親には勇気のいることでした。

 

プロジェクトを終え、帰宅した子どもが生き生きと興奮し、ご来光の美しさを語る表情に
「自らの不安感から子どもの行動範囲を狭めてしまっていたこと。思い切って富士山に行かせ、子どもにとって、経験はなによりの力になることを痛感した」
と、声を頂きました。

 

2012年は全村避難地区富岡町から郡山市に避難していた教員の友人が、いわき市や福島市に避難している子を連れだってやってきました。夕暮れのテン卜にひとりで泣いている友人を、私は見つけます。
震災から色々なことガありすぎて泣くことができなかったという彼女の隣にいることしかできない自分。
「富士山にこれてよかった」と、つぶやいた彼女の言葉。
あの時、私は、あまりにも大きな震災をひとりの人が背負っている重さに、初めて気がつきました。

 

私になにができるのかを考え、問い、探しながら、なにか一緒に創っていきたい。
あの震災で多くのいのちが教えてくれたこと。自然のなかに、暮らしのなかにある喜びを分かち合っていこう。
そうした場を、子どもの未来を願う人たちと共に創り続けたいと思っています。

 

【第2稿】2018年2月28日(水曜日)

 

 

子どもを取り巻く社会問題や教育の現場について、娘の通う中学の先生と学びの会を開いています。
国立・公立・私立、家庭を居場所としている子の親たちが集まり、学校の垣根を超えて互いに知り合い、共に考え、気づきあう場になっています。

 

会では、まず先生から問題提議を頂き、参考文献や新聞記事を読み解くことから始めていきます。
日本の子どもの自尊感情の低さ、子どもの権利からみた校則問題、道徳の教科化など。
これからの時代に生きる子どもの未来はどこに向かっているのか、現実を知ると絶望的になってしまいます。

 

日々の新聞の吉田勉子さんの連載(My way)のなかに、私は教育について、いくつものヒントを頂いています。お子さんたちが日本の模範意識や常識に同調することなく、自らの感注で物事を捉え、自分で決めて行動していく。そして兄弟同士、互いを良く知り、見守り、寄り添い合う距離感。潔く個人として生きる覚悟を感じます。

 

子どもにも親にも苦しい出来事が起きても、愛することを手放さない。
弱まっていたら、だれかがだれかの支えになり、困難を乗り越えていくエピソード。
そこには母親の願いと想いがあり、子どもが自立していくとはどういうことなのか、私はお話のなかで気づかされます。

 

子どものいのちを信じて育てれば、地球のどこにでも根差し生きていく人になる。
自分と共に暮らす人たちと関わり合いながら、私たちはなにより幸せになるために生まれてきたのだから。

 

【第3稿】2018年3月31日(土曜日)

 

 

かれこれ25年前、尊敬する先輩が福島南会津豪雪地帯に嫁ぐと聞き、雪の山里を訪問。東京と地域の子ども交流事業に参加しました。

 

一面の雪世界が広がる開墾小屋に、全装備をスノーモービルで荷揚げし、沢筋に雪を掘って水場を作り、ダルマストーブで煮炊きをして生活しました。
お天気に合わせて山にそりで上がったり、森を歩いたり、自然との交歓を分かち合う遊びをしました。
厳しい冬に負けないで、雪の暮らしを心から楽しんでほしいという願いがありました。

 

2011年の大震災で、南会津は大きな被害は免れました。
自然と共に暮らしている会津の仲間たちは、福島の子どもが自然から切り離されていくことがやりきれず、安心できるで思いっきり遊んでほしいと、保養キャンプを開きました。
参加した子どもは、ゆったり流れる時のなかで、存分に遊んでいきました。

 

日々の新聞351号の脳科学者の中野信子さんの「美しさについて」に

「私たちの脳は美しさと正しさを混同してしまう性質があり、美しいとされているものを見た時、なにか胡散臭い感じを持つ時があります。その胡散臭い感じを大切してほしい」

とあります。

 

この胡散臭い感じをどう養っていくのかに着目した時、自然の営みに感じた安らぎや心地よさが、ひとつの拠り所になると思いました。

 

なにかに演出された美ではな< 、自然の本質的な美しさを感じとる感性を磨こう。
深々と降る雪が空から舞い降りてくる美しさ、氷点下の寒さが明けて、春の訪れを感じる陽射しと緑の匂い。いのちが感じる喜びを軸に生きていこう。
会津の人から教わった大切な心です。

 

Feel Our Soul People

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